2003年06月08日
Garbage
・・・今回このブロックで消滅したのは、相田ジュンコさん、川添シンイチさん、菊池リョウヘイさん、木村アキラさん・・・、
いつもの無機質な放送が続いていた。このような調子でただひたすら、今回の走査で消滅した人達の名前が羅列される。その抑揚のない、文字通り機械的な、つるりと光る新品のクロームのような声色には、消えていった人達への憐憫だとか、残された者達への気遣いだとか、そういった感情の動きといったものは何も感じられない。いつものことだ。何も感じない。その放送を聞きながら、薫はそう思った。何しろ、彼が生まれた時から、ずっと世界はこの調子なのだ。ある程度定期的に、そしてある程度不規則に、この世界にあるあらゆるものが消滅していく。人だけではなく、家やビルや、あるいは公園のブランコといったような建造物であっても、鳥や木や岩といった自然物であっても。放送が始まった時、新宿の駅を出て西新宿の方へ歩いていた薫は、落ち着いて放送を聞くことができるように近くのエクセル・シオールに入った。アイスカフェモカを注文し、灰皿を取ってカウンターの喫煙席に向かう。
・・・三丁目五十四番の家屋、三丁目五十五番の家屋、第二商工ビルディング屋上のジュースの自動販売機、同じく第二商工ビルディング屋上のタバコの自動販売機・・・、
放送は人から人工物の列挙に移っていった。もちろん、今回の走査で消滅した物だ。こうして今回の消え去ったもの達の名を一通り言い終えると、「以上です」と愛想のないクローム的な挨拶を述べていつものこの放送は終わる。キッチリと、後腐れなく、フェルマータもリタルダンドも付かないインテンポの終止形で。その放送が終わるのを確認して、薫はシャツのポケットからマイルド・セブン・スーパーライトを取り出して火を付けた。とりあえず、今回消えた人の中に薫の知人はいないようだ。深く吸い込んだタバコの煙が、安堵のため息とともに宙に吐き出される。薄く紫がかった白い筋が、緩やかな冷房の風に散らされて視界の中程を広がり、ゆっくりと流れて消えていく。・・・まぁ、今回は消えそうなヤツはいなかったしな。そう思いながら火のついたままのタバコを灰皿に置き、カップを持ってストローに口をつけた。と、ズボンの左前のポケットから軽い振動が伝わってきた。ウィーン、ウィーン、ウィーン、と規則的に三回。携帯にメールが着信した合図だ。携帯をポケットから取り出し、メールを見てみる。秀明からだ。
今回はお互い大丈夫だったみたいだね
これからもよろしく
ただそれだけの内容のメールだ。まぁ、いつものことと言えばいつものこと。この世界では、そうやっていかないと消されてしまうのだから。だから、誰もが誰かとつながっていたがる。それがどんな些細なつながりでも。薫は左手にタバコを持ちながら、右手でメールの返事を出した。
そうだね、こちらこそよろしく
と。メールをもらったら必ず返事は返す。それもできるだけ早く。それがこの世界の暗黙のルールだ。気が向いたら、とか時間が空いたら、ではいけない。できるだけ早く、だ。そうでないと、次に消えるのは自分かもしれない。メールが送信されるのを確認して、薫は携帯をカウンターの上に置いた。だが、携帯を置いた手が同じカウンターの上に乗っているカップに移るより早く、また携帯が三回振動した。今度は別の相手からだ。内容は、似たり寄ったり。走査があった後はいつもこうだ。誰もが誰かとのつながりを確認したがる。あるいは、誰もが誰かとのつながりを作りたがる。そして薫も、それらのメールに一つずつ返信していく。短く丁寧に、差し障りなく、そして迅速に。一本目のタバコが、灰皿の中でもみ消された。
■
消滅のルールは至って簡単だ。細かい規則はあるものの、大雑把に言えば「誰からも必要とされていないものが消える」のだ。判断基準も単純で、「誰からも明確な意図をもって接触されないものは必要とされていない」というもの。例えば、人間だったら仕事でも何でも、誰かに頼まれることがあったり、表だけでも話をしてくれる相手がいるならば「消滅」の対象になることはない。人工物ならもっと簡単で、単純に誰からも使われなくなったものは「消滅」する。見境のない廃品回収のようなものだ。だから誰もが「廃品」とならないため、誰かと常にコンタクトをとりたがる。誰もが誰かとコンタクトをとりたがるから、暗黙の内に色々なルールも出来上がる。その殆どは概ね「私はあなたを必要としますから、あなたも私を必要としてください」という関係の、水面下での強制だ。自然、そういった不自然なつながりが線となり、不器用な小コミュニティのようなものがいくつも生まれる。不必要な必要を強制する、匿名的な、いびつなコミュニティ。そんなつながりが、今やこの世界では蔓延していた。それらの多くは組合という形を取ったり、宗教だったり、あるいはインターネットサブカルチャーと呼ばれるものだったりした。そんな歪んだ関係性で形作られたコミュニティがまた別のコミュニティとつながるようにして、より大きな関係性が作られていく。無機的で、不可避で、ある種匿名的な「消滅」から逃れるために。
■
サエ>ねぇ、あの女ムカつかない?
ゴラえもん>あー、いつもお高くとまっててね
タンポポ>私なんて去年彼氏とられちゃったよ(;O;)
ゴラえもん>そりゃひでぇ(`_´メ)
サエ>何でそんなことされて黙ってたの
タンポポ>誰かに言ったりしたら消すぞ、って・・・(;;)
サエ>ひど〜い(`Д´) ホント何様!?
ゴラえもん>アイツもここじゃちょっとした顔だしなぁ(ノ_−;)
サエ>関係ないよ、私達で消しちゃおうよ(`Д´)
タンポポ>できるかな???
サエ>これまでだって、顔だって言われてたヤツ何人も消えてきたじゃん
ゴラえもん>でもさぁ・・・
サエ>やるんだって!消しちゃおうよ、あんなヤツ(ノ`△´)ノ
ゴラえもん>・・・オシ!やるかo( ̄へ ̄o)
タンポポ>ウン、やろうよ(* ̄ー ̄*)q
■
尚子は焦っていた。ここ数日というもの、誰からもメールが入ってこない。尚子が所属しているコミュニティのチャットでは、誰もが自分を無視して話を進めている。いくら話を振ってみても、誰も自分に振り向いてくれない。それは尚子のような人間には致命的だった。何しろ彼女は「消滅」の恐怖から逃れるため、常に誰かと24時間いつでもつながっていられる、このネット上のコミュニティに文字通り寝食を惜しんで依存していたからだ。最初は大学の授業の合間や、家に帰って寝る前にちょっとチャットに顔を出す程度だったが、一人、また一人と知っている人が消えていくのを見るうちに、いつの間にか授業もバイトも出なくなり、ただ消えないためだけにひたすらパソコンに向かいキーを打つようになっていた。今ではトイレに行くわずかな時間ですら、パソコンの前から離れているのに恐怖を感じる程になっていた。イヤだ、消えたくない。わけもわからず尚子はあらゆる人に話しかけた。が、誰も応えてはくれない。そんなはずはない。自分はこのコミュニティでなくてはならない重要なそんざいのはずだ。半ばヒステリックになった尚子は、チャットで誰にともなくそう叫び続けた。消えたくない。消えたくない。消えたくない。誰彼構わずメールを送り、チャットルームに入ってくる人皆に話しかけた。・・・応答はない。一瞬、世界が暗転する。走査が、始まる。
■
「お先失礼します、おつかれさまです」
そういって薫はバイト先を後にした。薫のバイトはホテルの高層階の高級レストランでピアノの演奏をすることだ。当然、バイトの間は携帯のチェックなどできはしない。だが、逆にバイトをしている間はお客や、最悪でもレストランのオーナーが、薫のピアノを必要としてくれているので消滅の心配はない。その意味で薫は恵まれている方だった。誰かが認めてくれる何かがあれば、消滅というのは必要以上に心配することではない。とはいえ、一度消えてしまえばもう二度と戻ることはできないので、それに安心し切ってしまうわけにもいかない。だから薫もコミュニティに顔を出し、いびつな関係性の中に身を置かざるを得ないのだ。
店を出た薫は携帯の電源を入れ、メールの確認をした。47件。三時間というブランクにしてはいつもよりやや量が多い。まぁ今日はバイトの途中に走査もあったしな、と思いながら、薫は新しい方からメールを読み進めていく。すると、新しい方のメールはある一つの話題で持ち切りだった。「ショコラが消滅した」。そのタイトルで始まる一連のリプライは、先程の走査があった後放送された消滅者の名前の中に、ショコラの本名があったらしいとする現実世界での知人の証言に始まり、その後チャットでもメールでもショコラの姿が見当たらないという話、誰かが徒党を組んでショコラを追い詰めたらしいという噂等がひたすら綴られていた。・・・ショコラが消えた?薫は少しばかり混乱した。ショコラとは同じコミュニティで、いつの頃からか、いつ顔を出してもチャットに名前を列ねているショコラはあのコミュニティの有名人だった。直接の面識はないが、チャット上では当然何度も話をしている。この一週間程コミュニティとはメールだけのつながりで、チャットには顔を出していなかったが、その間に何があったのだろうか。確かにときたま鼻につく態度を取ることがあるショコラであったが、まさか突然消えてしまうとは思ってもいなかった。だが、この世界ではまんざらありえない話でもない。有名人、特にある特定のコミュニティのみでの有名人というのは、変に目立ってしまうので、周りの反感を買ってしまった場合は意外と早く消えてしまう。コミュニティへの依存が強ければ強い程消えるまでの時間は短い。これまでにも何度か、そういうことがあった。要するに、ショコラは目立ち過ぎたのだ。
薫が一連のメールを呼んでいる最中にも、その話題に関するメールがどんどん飛んできた。いくら読んでも読むスピードよりメールが届くペースの方が早いので、一向に未読件数が減っていかない。薫は歩きながら、あるいは電車の中で、それらのメールに目を通そうとしたが、あまりにペースが早いのでとうとう諦めて、一旦携帯の電源を落とすことにした。電車が家の最寄りにつくまであと20分程。何も焦って電車の中で着信の度にバイブをいちいち唸らせながら、同じ話題のメールを必死になって読むこともないだろう。
■
「これでも、今は昔よりずっと良くなったんだよ」
薫の父はそう言う。
「昔は今みたいにメールとかチャットとかなかったからね、近かろうと遠かろうととにかくつながりを保つコミュニティを持つなんてことできなかったんだ。今なんてそれこそその気になれば、いつだってネットで誰かとつながれるじゃないか。昔は大変だったよ。それこそ小さな村社会の中で、仲間から外されないように、外されないように、ってさ」
でも結局それって、今と変わりないんじゃないかな、と薫は思う。ただ場が移っただけで、個人が所属する社会の大きさは変わったわけじゃない。時間と空間の制約がなくなっただけ。顔が見えない分、関係を壊すのも簡単だ。消すのも、簡単だ。メールやチャットの名前の欄から、ただ文字がいくつか消えるだけ。そう、今回なら、「ショコラ」という文字が消えるだけ。本当に今の方が良くなってるのかな。
■
最寄り駅にまもなく到着という車内放送で薫は目を覚ました。わずか15分少々の間に眠ってしまったらしい。いつものように駅の手前で電車は地下に潜っていき、数秒暗い地下の線路が窓の向こうに見えた後、急に人工的な灯が差し込んで電車はホームに着く。薫は立ち上がって電車から降りた。ホームの階段を昇り、人の流れに乗る形で駅の改札を通る。夜11時を過ぎた駅前のバスターミナルでは、最終のバスを待つ人の列ができている。誰も皆、疲れた顔で、退屈そうに立って並んでいる。半数以上の人が携帯であくびをしながらメールを打ったり、ネットを見たりしている。今のコミュニティにとって、現実的な場はどうでもいい。薫は携帯の電源を入れて、家の方に向かって歩き始めた。
3分程歩いたところで、ズボンの左前のポケットの中が振動し始める。着信だ。1回、2回、3回、4回・・・。メールではない。通常の着信だ。薫はポケットから携帯を取り出し、背面液晶に出る文字を確かめる。秀明だ。
「はい、もしもし?」
「おっす、今大丈夫?」
「ん、大丈夫」
「ショコラが消えたって、知ってるよなぁ、もう」
秀明も薫と同じコミュニティにいる。実際に顔を合わせることのあるコミュニティ仲間というのは多いものではないが、秀明はその数少ない中の一人だ。当然、秀明のところにもメーリングリストで流れていた「ショコラが消滅した」というタイトルの一連のメールが届いているはずだ。
「ああ、ああ、さっきからそのメールばっかり。しかしビックリだね」
「ホントだよ。ま、確かにあまりいいヤツではなかったけどさぁ」
コミュニティ内のチャットやメーリングリストでは交わせないグチや他のメンバーの非難等も、こうやって信頼している相手と電話でなら堂々と話せる。秀明も薫も、コミュニティ内の不満はいつもこうしてお互い二人の中に捌け口を見つけて解消してきた。どんなところでも、人が集まるところでは不平不満の一つは溜まる。だが、コミュニティ内でそれを吐き出してしまうと今度は自分がコミュニティから外されることになりかねない。それは、最悪の場合消滅を意味する。その恐怖感から、何かあっても常にお互いに牽制しあう状況がどこのコミュニティでも見られる。そしてまた、関係性の歪みは大きくなるのだ。
「ん〜、そうだなぁ。でもあれだけコミュニティで幅効かせてたヤツがたった一週間かそこらで消えちゃうって方がビックリだよ。今さらかもしれないけどさ。」
薫は自分で言いながら「本当に今更だな」と思う。これまでそんな場面になど何度も出くわしてきたのだ。
「まぁ、確かに。でもそれもビックリだけどこれからどうする?」
「これから?」
「どうせこれからコミュニティは大騒ぎになるぜ。主犯は誰だ、ってさ。それもいつものことだけどさ」
「ん〜、そうだなぁ。できればあまり関わりたくはないけど、でも顔出さないと今度はこっちが疑われるしなぁ」
「そこなんだよ。ホンットめんどくせぇ。ヤだねぇ、ネットコミュニティって」
秀明は心からだるそうにその台詞を口にした。もとより、ネット上の「ただお互い消えないためだけの付き合い」等好きな人間ではない。ただ、誰からも必要とされなくなれば走査によって消されてしまうこの世界で、たまたま彼が大学に入った頃にネットができた。そして興味本位でネットの世界をさまよっているうちに、いつの間にか今のコミュニティに深くコミットしてしまったというのが秀明の実感なのだ。本来なら関わりたくもない、といったところなのだろう。とはいえ秀明も薫も、今現在こうしてそのコミュニティに関わってしまっている以上、現在のこの状況を無視するわけにもいかない。二人はお互いに後でチャットで会おうと約束して、一旦電話を切った。通話が終わった時、薫は自宅の玄関前まで来ていた。マンションの玄関を通り、階段を昇って部屋の鍵を開けて中に入る。荷物をおろしながらパソコンの電源を入れて、薫はため息をついた。
■
サエ>ねぇねぇ、さっきまでいたピアニシモって、あまり見ない人だね
|
タンポポ>ねぇ、最近サエちゃん怖いの・・・(;-;)
|
■
visibleその他のエントリー
2000年05月30日
1999年12月29日
1999年06月19日
1998年08月13日
1998年05月05日
1996年12月18日