2000年05月30日

TANGO EN SKAI/Roland Dyens 後書き

アルバムジャケット

タイトル
アランフェス協奏曲/メティス協奏曲

演奏者
ギター:ローラン・ディエンス、
アレクサンドレ・シラノシャン指揮 セレナータオーケストラ

収録曲
アランフェス協奏曲(J.ロドリーゴ)、メティス協奏曲(R.ディエンス)、タンゴ・アン・スカイ オーケストラ付(R.ディエンス)

 この作品のモチーフとなった『タンゴ・アン・スカイ』は『なめし皮のタンゴ』というほぼ直訳の邦題通り、本場アルゼンチンのタンゴではないもののとチュニジア出身の作曲者自身が皮肉りながら書いたタンゴである。世間に広く知られているのはギター独奏のものだが、この曲にはオーケストラと協奏曲のようにかけあいながら演奏するバ−ジョンがあり、作曲者自身はそちらでレコーディングを残している。今回の作品のイメージを与えてくれたのはその作曲家本人がオーケストラと共演したCDに収録されている『タンゴ・アン・スカイ』だ。

 『タンゴ・アン・スカイ』はこのCDを購入する以前から好きだった曲で、ギタ−独奏バ−ジョンの方は何枚か違う演奏者のものも持っていたが、この協奏曲バ−ジョンは独奏のものとはまったく違った魅力に溢れていた。初めて聴いた時私の脳裏に浮かんできたのは作品の冒頭で描写されるようなバーの風景。蒸し暑く、狭く、タンゴが大音量でかかっていて、孤独と充足が交錯する、そんなバーの風景だった。そしてそこに一人座る男は、一体何を思っているのだろうと考えたのが今回の作品でモチーフとなったイメージを発展させるキーとなった。不思議なもので、そう考え出すと『タンゴ・アン・スカイ』という曲は私の中でイメージとしてかなり多次元的に認知され始める。曲の冒頭に漂う寂しげな雰囲気の中、音域を縦横無尽に駆け回るギターパートが男の思考を表す象徴として、その上からかぶさってくるオーケストラのストリングスは心から思考と絡み、かぶさってくる感情を、低音でひたすらタンゴのリズムを刻むバスやパーカッションはその思考や感情を追い立て統制する時の流れのように感じられてきたのだ。曲の前半、まだ思考であるギターがハッキリと軽やかに聴こえている頃はストリングスも控え目だしテンポもまだ落ち着いている。ところが後半になるに従い感情が暴走気味に大きくなり出してギター、思考をおおうようになり、その思考に余裕がなくなってくるのを嘲笑うかのようにテンポもダイナミクスも上がっていく。思考にとって時は短くなり、感情であるストリングスや時を刻むパーカスにダイナミクスを上げられたギターは相対的にその音量の海に飲まれていく。それは思考が感情に支配されていくのと同義である。イメージを具体化させるために聴き込むうちに、私の中でこの曲は孤独を埋めようと奔走する思考を嘲笑うかのように大きくなる感情的な衝動が、だんだん思考を埋め尽くして暴走していくという精神状態のドラマと感じられるようになった。それを元に書いたのが今回のスケッチである。

 さて、最後にこのアルバム自体の補足説明をしておこう。ローラン・ディアンスというと作曲家としては有名だが、ギタリストとしては作曲家としてのような名声は得ていない人物である。だが、彼のギタリストとしての真価はその評価通りなのかというと、私はそうは思わない。彼は確かに純粋に技術面でいうなら多少粗いところはあるのだが、曲の持つ空気をよく理解して、その曲の持ち味を完全に引き出すことができるという意味では無二の才能を持ったギタリストである。世間にはプロのなかにも自分の技術や解釈に曲を付き合わせて、結果曲の持ち味を殺してしまうというギタリストや、技術も完璧だし曲の作り方も解釈も問題はないが、何故か教科書的で味気ないというギタリストのなんと多いことか。だが彼は曲の持ち味を最大限に活かし、その魅力を伝えてくれるという音楽家本来のあるべき姿を体現してくれている。このアルバムに収録されている他の2曲も、そんな彼の才能を充分に発揮した魅力溢れる仕上がりのものだ。国内盤は出ていないので輸入盤のみということになるが、これはお薦めの一枚である。

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