1998年04月21日
If
世界が全部同じだったら・・・。何となくそんなことを考えてみた。どこまで行っても変わらない景色、誰も変わらない面のような顔、延々と続くルーチンワーク、いつまでも続く繰り返しの毎日・・・。いつも同じ時同じ方向から同じ音が聞こえ、昨日も今日もこないだ聞いたような話題ばかりが繰り返される。皆同じ服を着て同じ表情で、整然として歩く様はまるでおもちゃの国の兵隊のよう。誰も彼もがみんな等しく、誰の代わりも誰もができる。そんな世界を想像してみた。
少し楽かな、と最初に思った。その世界ではすべてが同じ。その世界では誰もが同じ。自分の心に鞭をはたいて誰かと競り合う必要もなく、誰かと比べて自分を卑下し、惨めな気持ちになることもない。毎日次は何をしようとか何をしなきゃとか考えずともよく、周りからかかる重圧は全くない。同じ時間の羅列の中で、昨日の写像を今日に作るだけで時は過ぎ、僕らは生きていく。きっと気楽に生きれるだろう。悩みも何もなくなるだろう。誰もの代わりを誰もができるその世界では、愛しいはずの君の代わりさえ誰もができる。争いもきっとなくなるだろう。
そこまで考えてからふと思った。誰もが顔をなくして生きる世界。その中で僕は何を求めればいいのだろう。富も名誉も知識も地位も、すべては等価のただのラベル。何があっても何がなくても結局誰もが誰もと同じ。僕がいなくなっても君はどこにでも僕の代わりを見つけられる。そんな世界で何故僕は生きるのだろう。僕が僕として存在しなくてはならない理由はどこにあるのだろう。繰り返しだけの時間の中で、一体何がつかめるのだろう。
“If”で始めたこの空想は、現実とぶつかって弾け飛んだ。結局僕が求めていたものは、のっぺらぼうの世界じゃなかった。優越感もなければ劣等感もない、そんな偽りの平穏じゃなかった。僕は僕である何かをつかみたくて、必死で世界にしがみついていた。世界が全部同じだったら。それはどうしようもない劣等感をごまかすために構築された、都合のいい逃避の妄想。誰かにとって僕は僕で、その代わりは誰にもできない。そう思うのが重圧になり、あがいてみるのに疲れた頃の、脳に浮かんだ一つの幻。きっと誰もが自分を確認できるものを求めて、この世界でもがいてみている。それが富でも権力でも、形にならない何かでも、求める動機はきっと同じ。僕は僕であるための何かを一体どこに求めるのだろう。それはいまだに見えないけれど、誰かにとって代わりの効かない特別な存在になれるなら、それがきっと今の僕が僕である証・・・。
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