1998年02月06日

0と1の歪み

 ビルからあの子が飛び降りた。ノイローゼ気味だったって話だよ。街じゃどこかの少年が、金を取られて足蹴にされて、それでもじっとうつむいてたってね。ナイフを持った中学生は、ピストル欲しさに警官を襲った。文字どおりスリルと引き替えに人生を売ったんだよ。援助交際というおとなしい言葉のオブラートにくるまれた売春は、今じゃ社会の必要悪。これが文化だって言うのまでいる。登校してきた校門には、恭しく生首がささげられていることすらある。そんな時代になったんだね。

 僕らの中の求める基準が、いつの間にか数値のパラメータで測れるようになっていた。勉強はもちろん、それがスポーツであれ何であれ、他人との比較による数値化されたパラメータで自分の価値を決定する、そんな基準が僕らの中に出来上がってしまったんだね。それが偏差値教育の贈り物。意識していてもしていなくても、それが僕らの絶対基準。相対化こそが絶対なんだよ。他人との比較によって無意識のうちに数値化された自分の価値を、今度はより合理的に処理することを社会は教える。より早く、より正確に。僕らの脳をモデルとして作られたコンピューター。今度は僕らがそのコンピューターをモデルにしなくちゃならなくなった。0と1の世界の中で、より早く、より正確に。

tokai1.gif でもね、コンピューターは僕らの脳に近づいたけど、僕らはコンピューターには近づけなかった。より早く、より正確に。必要なのは、ただそれだけ。コンピューターが全てを処理する0と1の世界。その中で生きることを僕らは求められたけど、僕らはそれのみに生きることはできなかった。0と1の歪みの中で、何度僕らは葛藤しただろうか。それでもまだ、僕らの世界はあくまでも0と1の世界での処理を要求する。次々とかかる負荷にそろそろ僕らの回線は耐え切れなくなってきたみたいだ。そしていつしか、半端にコンピュータ化された僕らの意識がバグを起こす。

 勉強の偏差値を上げようとした彼女は、最後まで自分を問い詰めた挙句に夜中ビルから飛び降りた。強さという偏差値に優越感を覚えた少年達は、今日もどこかで誰かをいじめ、そこに居場所を確認する。外の世界の偏差値の圧力に押され、その排出口である趣味が高じて止まれなくなった。そんな彼のバグは拳銃のために彼自身を修羅場へとかきたてる。処女を10万円で売る中学生。彼女らが求めるものは金という名のパラメーター?流行りという名の魔力を帯びた、仲間と同じ通過儀礼?
それともそれは、潰される前の最後のあがきの自己防衛?相対化という名の圧力に負け、精神に変調をきたした彼は、気が付いたとき自らの手を血で染めていた。眼前に横たわる死体を見たとき、彼の頭には一体何が浮かんだのだろう。彼の冷たく凍った行為、それは一体何のため?・・・恐らくそれは彼自身のため。潰れてしまいそうだった自分を救うため意識が動いた、どうしようもない致命的なバグ・・・。

 彼らを見て“異常者”と決め付けることなんて誰にもできない。健全な精神を持っていたが故に自分自身の心を狂気から救おうとしてとった行動、それがたまたま世間に適応しなかっただけ・・・。

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