1997年10月11日

紙飛行機

tree.jpg とある風が気持ちいい休日に、僕は下宿のベランダに出てそこから見える景色を何をするともなく眺めていた。下を見下ろすと、幼稚園くらいの小さな子供達がなにやら楽しそうにはしゃいでいる。向こう側の道に目をやると、部活帰りなのだろうか、制服を着た中学生が自転車に乗って走りすぎていった。そんな風景を眺めていたら、「自分にもあんな時代があったんだなぁ」というあたりまえの事実を思い出して、一人でしんみりと感傷に浸っていってしまった。そうして昔のことなど思い浮かべていたら、ふと紙飛行機を折りたくなった。中を見渡し、テーブルの上に具合のいいルーズリーフが乗ってるのをみつけると、僕は早速それを丁度いい大きさに切って作業にとりかかった。

 小学生の頃、僕は紙飛行機が何ともいえず好きだった。白い紙でできた小さな翼が風に乗って滑るように飛んでいくのを眺めて、言葉にならないような不思議な高揚感と安堵感の中でその行方をじっと見守っていたものだ。青い空に映えるその紙飛行機の姿を見たいがために、何度も何度もそれを追いかけたり、新たに作り直したりして、飽きもせずにずっとそればかりを繰り返していた。

 そんなことを思い出しながら、僕はでき上がった紙飛行機を持ってベランダに出た。そして久しぶりに作った紙飛行機を、ふっと手から滑り出させる。建物の3階から飛び立った紙飛行機は、しばらく力なく風に乗って滑空してから、どこへともなく僕の視界から消え去っていった。その姿に、僕は何故かとてつもない悲哀感のようなものを覚えた。風に吹かれて自分の力で行き先を決めることもできず、いつの間にかフラフラと落ちて消えてしまったその紙飛行機が、僕には一時期の自分の姿とダブッて見えたからかもしれない。

 思えば昔は空を飛ぶ紙飛行機を見て、そんな感情を抱くことなどなかった。空を駆け抜ける白い翼は、自分の夢を乗せて飛ぶ未来の象徴であった。ところが今はそこに見えるのは未来ではなく、過去のうらぶれた自分の姿・・・・・・。時の流れというものはここまで同じ人間の感じ方を変えてしまうものなんだな、とぼんやりした頭で僕は考えた。そうすると、とうの昔に忘れてしまった感覚が、何故かとてつもなく貴重で何物にも換え難いものであるように思えてくる。自分の夢を乗せて大空を舞う紙飛行機・・・・・・。悪くない。今となってはかえって新鮮な感覚だった。子供じみた夢を年齢が笑い飛ばす、そんな空気に慣れすぎてしまっていた。僕は今その子供じみた感覚に憧れすら抱きながら、もう一つ紙飛行機を作りさっきと同じように目の前の空に投げ出した。すると今度はその紙飛行機は、風に乗って気持ちよさそうに悠々と視界の彼方へ飛び去っていっているかのように思われた。そしてまた、このベランダに心地よい風が吹く。昔と今では託した夢は違っているけれど・・・・・・。

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