2014年11月25日(火曜日)
モンゴル旅行記-4
テレルジでの長い夜の翌日は、再びウランバートルに戻ります。この日はモンゴルでは珍しいという雨模様の天気で、草原にも雲のように濃い霧が立ち込めていました。霧のモンゴルというのもなかなか珍しいそう。青空の爽やかさ、解放感とは違いますが、そう考えるとこの霧の景色もこれはこれでまた味があるのはないかと思えてきます。そんな文字通り靄に包まれた景色の中、テレルジのツーリストキャンプからウランバートルに戻る途中に立ち寄ったのがこちら、亀岩。なるほど、亀岩です。説明の必要がないくらい亀岩です。ただそれだけの名物なのですが、あれは確かに亀岩でした | |
そしてまた、3時間弱程度バスに揺られながらウランバートルへと戻っていきます。途中ガソリンスタンドで衝立だけのモンゴリアン・ぼっとん便所を体験してみたり、見事に渋滞にはまったりしながら次の目的地である日本人墓地を目指します。 |
モンゴルに日本人墓地があるとは、実は知らない人も多いのではないでしょうか。かくいう自分も正直申しますと、ノモンハン事件のことは概略程度に知っていても、そこで捕虜となり抑留された日本人とその墓地についてはまったく知らなかったのが正直というところです。 | |
ノモンハン事件は大雑把にいえば1939年に当時大日本帝国として満州を治めていた日本とモンゴルの国境における接触から、当時モンゴルの後ろ盾となっていたソ連を含めた国境際の争いになった、比較的短期間ながら、しかし確かに戦闘を伴った"戦争"です。きっかけは国境際の関東軍とモンゴル軍の偶発的な遭遇・交戦(と言われてはいるけれど真相は今のところ闇)ですが、時はまさに第二次世界大戦開戦前夜、当時の日本の状況を考えるとやはりモンゴルまで満州の領土を拡大・侵略しようという思惑は少なからずあったことでしょう。この1年に満たない戦争に満州(日本)は敗れ、そこで捕虜となった日本兵は抑留・強制労働という運命を辿ります。その数は数十人と言う人もいれば3000人という説もありますが、それらの捕虜となった日本兵は再び祖国の地を踏むことなく、モンゴルに命を散らせることになりました。写真がその日本人墓地。実際の献花台というか、祈祷台はこの上なのですが、この円盤には矢印で「日本はこちら」と方向が示してあります。日本に、帰りたかったことだろうと思います。その遂げられなかった思いの辛さは、自分にはわかるとはとても言えませんが、そう、やはり、言葉にするのならば無念だったことだろうと思います。だからこそ、そうした思いを後世がしないために戦争は起こしてはならないのだと改めて痛感しました。 |
余談ながらこの日本人墓地、現日本国首相であられる安部氏の献花はキッチリとしてありました。うん、多くは語りませんがこういう部分はしっかりしてるんだなと。多くは語りませんが。
そしてモンゴルで驚いたことといえば、その交通マナーにひどくビックリしました。何が凄いってその道路横断。歩行者が信号のない道路を渡る時、日本であれば手前側車線も向こう側の車線も車が来なくなったタイミングを見計らって一気に道路を渡るのが普通かと思いますが、モンゴルでは違います。とりあえず手前側が空いたらまず中央線まで渡ってしまうのです。そして向こう側の車線が空いたら中央線から向こう側へ。この道路横断方法を、自分は勝手に「モンゴリアン道路横断」と名付けたわけですが、この横断方法が一般的なためにモンゴルの道路の中央線にはとにかく人がたくさん立ってます。ウランバートルも結構車社会で、道路にはたくさんの車がビュンビュン走ってるのにその混雑した道路の中央線にはまた歩行者がたくさんいるわけです。日本の感覚で言えばなかなかにデンジャラス。でもそれがモンゴルでは普通。これは是非一度やってみようと、自分も自由時間に散歩してちょっとやってみました。中央線で立ち止まるモンゴリアン道路横断。うん、おっかなかったです…。そして車もまた走りながら物凄い狭い隙間に容赦なく突っ込んでくるんですよね。あれでよく事故らないなと思ってしまいますが、実際のところ滞在中に数回事故も見たのでやっぱり事故ってはいるのでしょう。路駐だらけの香港と比べると駐車には余裕があるようですが、走っている時の危険度は圧倒的にモンゴル危ないです。正直自分はここで車は運転したくないなと思いましたとさ。 |
そんな楽しかったモンゴルの旅も当然終わりが訪れます。お土産を買うために立ち寄った国営の商業施設ノミンデパートではチンギス・ハン・ウォッカと、写真の民族楽器、ドンブラを買ってきました。馬頭琴を買うかこのドンブラにするか凄く迷った、というかそもそも楽器を買って帰るか凄く迷ったのですが、最後は伯父の「買いたいものを買った方がいいよ」との一言でこのドンブラの購入を決意。帰りの飛行機でずっと大事に抱えて日本まで持ち帰ってきました。カザフ族のギターだというこのドンブラ。調弦もよくわからないのでその場ではとりあえずギターの3、4弦と同じチューニングに合わせて、ちょろちょろと道すがら弾いたりしてご機嫌になってました。弾いてよし、飾ってよし、モンゴルといえば馬頭琴というイメージのところに敢えてのこのドンブラ。お気に入りです。家に着いたら妻が驚くかなとワクワクしてましたが、「てっきり馬頭琴買ってくると思ってたけどまた変な楽器を…」くらいのノリで、楽器を持ちかえってくること自体は想定の範囲内だったところがさすが我が妻です。 |
初めて訪れたモンゴル。行く前は正直「こんな機会でもなければ行かないし」程度の気持ちであまり期待値は高くなかったのですが、実際にいってみたら実に素晴らしいところでした。そのモンゴルの伝統と旧ソ連がミクスチャーされた街並みや文化、日本の生活とはまったく違った在り方で暮らす人々の姿、そして雄大な大自然。どれ一つ取って見ても新鮮で、これまでの価値観を覆すほどのインパクトがあって。モンゴルに滞在したのは実質3日ほどだったわけですが、本当にいい体験をさせてもらいました。できればまた行きたいものです。子供らも、いつか連れていって一緒にあの大自然を体験させてあげたいなと思いましたよ。
"モンゴル旅行記-4"へのコメントはまだありません。