2013年07月29日(月曜日)
桜木 紫乃『起終点駅(ターミナル)』
この土日、何かさらっと小説でも読んでみたい気分になったので、土曜に本屋に行って一冊選んできた。本命は今年の芥川賞・直木賞の受賞作品だったわけだけど、芥川賞の藤野可織『爪と目』は売り切れ(?)で置いてなく、ならば直木賞の桜木紫乃の『ホテルローヤル』にしようかと思ったが、書棚に並べてあった他の桜木紫乃作品をパラパラとめくっていたら『起終点駅(ターミナル)』という本が一番面白そうだったのでそれを読んでみることにした。本当はもう一冊、何かネットで「綿谷りさが震災をテーマにした新作が出たよ」みたいなニュースを見たので、それも面白そうだなと思ってはいたのだけど、本屋にも置いてないしAmazonで検索してもそれらしき本は出てこないので、何かの見間違い(恐らく作者を見間違えた)なのかもしれない。ともあれ、この桜木 紫乃『起終点駅(ターミナル)』を、この土日で読んでみた。以後はネタバレ注意。
この作品は、六編からなる短編集だ。そこに出てくる人物は、皆何かしら後ろ暗いもの、決定的な欠落を抱えて生きている。『かたちないもの』では突如明確な理由も告げずに別れて離れていった恋人への、思いと最終的な死別であり、『海鳥の行方』では理不尽な上司との軋轢に苦しみながら、恋人の病にも何も思わない自分自身だったり、過去に殺人を犯した男の現在と最期だったりする。表題作『起終点駅』はかつての恋人との不倫の果てに、相手は自殺し、妻子にはその事実は何も告げずに離婚した男。『スクラップ・ロード』は中学生の時に父が蒸発し、片親ながらエリート出世コースを進んでいたもののその途中で職も婚約者も失ってしまった男。『たたかいにやぶれて咲けよ』、-----これはさすがに詳細は書かない方がいい。『潮風の家』は家族も捨てて天涯孤独な人生を送ってきた女二人の話。
こうして並べてみると、あくまでファンタジーではなく日常の物語ではありながら、テーマ設定はすべて重く、暗い。その中で、当然登場人物たちはもがきながら生きていくのだけれど、その誰もがひたむきで前向きなわけではない。その重く苦しい現実を、受け止めている人もそうでない人も、立ち向かっている人もただ流されている人もいる。その、簡単に希望や救いを拠り所にしない、乾いた叙事的な語りが、かえってしんみりと心に染みてくる。世界は、重いかもしれない。暗いかもしれない。そんな中、生きていればどうにかなるなんてこともまたないのかもしれない。そこで力強く、「でも生きるんだ」となるのでなく、ただ生きている人の姿が描かれていて、それが逆説的に物凄い説得力がある。人間いつだって前向きなわけじゃない。重く暗い現実に立ち向かえない時もある。でも生きている。もしかしたらひっそりと、立ち続けるくらいのことはできるかもしれない。そんな控えめなメッセージ。
作者の桜木 紫乃は直木賞の受賞者インタビューで、「一生懸命生きている人の口から幸せだとか、不幸だとかいった言葉を自分は聞いたことがない。そういった人達を自分は今後も書いていきたい」みたいなことを言っていた。なるほど、ここで描かれている人は幸せだとか、不幸だとか、そういったことではないのだなと思う。一生懸命生きているのだ。例え前向きに希望を見るような生き方でなくとも、重く暗い人生に、静かに自分自身を順応させるような生き方だったとしても、一生懸命、生きているのだ。その姿を、情に流されずに描くからこそこの作品は情に訴える。
だから、このオビに書かれていたコピー、「苦しんでも、泣いても、立ち止まっても、生きて行きさえすれば、きっといいことがある」というのは違うと思う。コピーライターが大して作品も読みこまずに書いた浅薄なコピーだなと、読み終わった今では憤りさえ感じるほどに。自分が同じ調子でコピーを書くなら、こうだろうか。「苦しんでも、泣いても、立ち止まっても、それでも、人は生きている。幸せだとか、不幸だとか、そんな言葉とは関係なく」。あくまで、希望や救いを簡単に拠り所にしないところが、この作品の美しさなのだ。生きていたっていいことなんてないかもしれない。力強く前を向いて「生きて行くぞ!」なんて活力は出ないかもしれない。でも、生きていくのだ。そんな等身大の、虚飾のない人間たちが、静かに淡々と描かれた物語。個人的には表題作『起終点駅』、そして『たたかいにやぶれて咲けよ』、その前編としての『海鳥の行方』は本当にすばらしい作品だと感じた。
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