2011年04月21日(木曜日)
日常に満ち溢れた有害なものたちと
今日はSS(防除機)の外装を特別なクリーナーでひたすら洗浄。SSの表面には大量の農薬がこびりついてますが、それを酸性の洗剤で溶かして落とします。この洗剤は強力で肌につくとピリピリするし、溶けた農薬もはねてきます。今私の体には基準値以上の有害な何かが付着していること必至です。
私は外で洗浄でしたが、工場の中では別の人がひたすらラッカーで塗装。シンナーやトルエンの匂いが充満し、時たま「ずっと中にいると具合が悪くなる」と言って外に空気を吸いに来るほど。ウチに限った話ではないでしょうが、工場の現場では体に有害なものが満ち溢れています。
農薬、シンナー等の有機溶剤、水銀等の重金属、排気ガスや電磁波、環境ホルモン、アスベストとか、果ては放射能まで、人間は有害なものに囲まれつつも、そのデメリットを超えるメリットを生んでここまで来たのだなぁ、と何となく思いました。メリットが勝っているおかげで、ここまで人の平均寿命は延びてきました。
リスクを取ってメリットを生む。例えば農薬なんて、短期的に見れば放射能より有害でしょう。それでも農薬は分解が早いので消費者の口に届く頃には無害になっている(はず)。でも放射能はモノによっては無害になるまで数万年かかる。その覚悟の上でリスクを取っていたかと言われるとそうでもない。
経済を効率的に回すためにリスクが見過ごされるのが資本主義の歴史の常。じん肺も、光化学スモッグも、水俣病を始めとする四大公害病も、アスベストも、今回の原発事故もそう。ただし今回はリスクの影響期間がちと長すぎます。直接その物質を摂取した人だけでなく、子孫にまで影響大なわけですから。リスクを見逃していました、で済まされる問題ではないでしょう。
短期的に体に害のある農薬や酸性の洗剤、シンナー等に囲まれて仕事をしていた今日、作業しながらぼんやりとそんなことを考えてました。結局、有害なものは日常に満ち溢れているのだから、リスクを認識して許容範囲を決めつつ、メリットを生み出して生活していくしかないんでしょう。でも、放射能ばかりは困ったなぁ・・・。
まとまらないからここでやめ。
Trackback on "日常に満ち溢れた有害なものたちと"
このエントリーのトラックバックURL:
"日常に満ち溢れた有害なものたちと"へのトラックバックはまだありません。
"日常に満ち溢れた有害なものたちと"へのコメントはまだありません。