2010年11月27日(土曜日)

ワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団@りゅーとぴあ

 りゅーとぴあで会員優待のコンサートとしてワレリー・ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団のコンサートが開かれるというのを知った私は、早速チケットを取りました。プログラムはシベリウスのバイオリン協奏曲、そしてマーラーの交響曲第一番『巨人』。マーラーの『巨人』。実はこの曲、東京を去る際にタワレコで退職記念のCDを探していた時にクラシックのフロアで流れていたのを聴き、あまりの曲の素晴らしさに思わず同時に購入してきたという経緯があります。その時に流れていて所望してきたのはサカリ・オラモ指揮ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団のものでしたが、その後いくつかの同曲のCDを購入し、聴き込んできた大好きな曲の一つです。当然、この日のコンサートは非常に楽しみにしていました。バイオリン協奏曲でのソリストは諏訪内晶子というのだから尚更です。

 まずはシベリウスのバイオリン協奏曲。この曲はシベリウスらしい冷艶な空気の中を、独奏バイオリンが煌びやかに一気呵成に駆け抜けていく名曲です。ソリストの諏訪内晶子はゲルギエフと共に濃いブルーのドレスで颯爽と現れ、それこそあっという間に過ぎ去っていったような印象でした。素晴らしかったのはその音色。諏訪内晶子といえばその技巧は文句のつけようがなくとも、音色は特筆するほどではないかなという印象が正直あったのですが、実演に触れてみるとそんなことはまったくない。特に高音を伸ばす時の冷たく透明で、妖しく光るような音色は実に素晴らしかったです。特に第二楽章の終わりでは最後の余韻まで美しく響くその音色に酔わせてもらいました。

 これは後で知ったことですが、諏訪内晶子が今使っている楽器はあのハイフェッツが使用していた三大ストラディヴァリウスの一つ、『ドルフィン』であるとのこと。あの音色の素晴らしさは、彼女自身の研鑽はもちろんのこと、この楽器の力による部分も大きいのかもしれません。シベリウスの冷たく透明で涼やかな響きの中、時に凍るように美しく、時に情熱的に一気呵成に、自由自在に駆け抜けていく諏訪内晶子の演奏は素晴らしかったです。

 そしてマーラー『巨人』です。この曲はさすがにCDで聴くのと生で聴くのではもう全然迫力が違う。第一楽章で高らかに鳴り響くファンファーレとともにオーケストラがトュッティの強奏で一気に爆発していくところなど、直前のフレーズから一気にあざといくらいテンポを落とし、物凄い集中力でオーケストラを睨みつけながら音を引っ張っていくゲルギエフの指揮ぶりは圧巻でした。

 ゲルギエフの指揮を体験するのはこれで二度目ですが(一度目はサントリーホールで聴いたウィーンフィル)、その時同様やはりゲルギエフの指揮はオーケストラを引っ張る力が半端じゃないように感じます。彼の指揮は打点がわかりにくいと言われますが、確かに生で見ても分かりにくい。振り回される腕を見て合わせようと思ってもわけがわからない。タクトを持たずに徒手空拳で振られる彼の指揮の、手首と指先を集中して見ていないといけないのです。そして振り回している腕がどの位置にあろうと、とにかくその手首と指先で打点や指示を細かく出す。だからいつどこで打点が振られるか、腕の位置ではまったくつかめない。そりゃわかりにくいと言われるわけです。その代わり、要所要所の重要なアクセントの部分では"ここは必ず縦をきっちり合わせろ"とばかりに一拍前で頭上に指を立てて手を振り上げ、"さぁ来い、ドンッ"ってな具合で指示を出します。その点ではわかりやすい。そして各パートが休止から入ってくる時や重要な旋律・リズムに入る時等は物凄い迫力でそのパートを睨みつけながら音を引き込んでいくのです。その目力が凄まじい。音も無音も、彼はオーケストラを睨みながら引っ張り、引き出す。その迫力はやはりこれまで見た指揮者の中でも随一です。ゲルギエフはよく"怪人"等と呼ばれたりしますが、それはきっとこの睨みつける迫力から来るのでしょう。

 ロンドン交響楽団はこれまで実演に触れたことがある海外オケのウィーンフィルやバイエルン放送響、ロスフィルと比べると明確な個性は薄いオーケストラのように感じました。一緒に行った父に言わせると「イギリスのオケは地味なんだ」とか。ウィーンフィルのように明るい輝きの響きで自由闊達という感じでもなく、バイエルン放送響のように木の暖かい質感が感じられる弦が印象的というのでもなく、ロスフィルのようにアンサンブルの中でもオケのメンバー一人一人の技量が感じられるような個人的名人芸の集合体という感じもせず。重心の低い音でアンサンブルが強固な弦と、明朗で非常によく響く管、そして実に生き生きとしたリズムを刻むティンパニ始めとするパーカッション隊という印象です。特筆すべきはフルートですか。非常に柔らかで美しい音色のフルート奏者が一人いました。そのオケからゲルギエフが曲想により様々な引き出しを開けていく、そんな感じでした。

 マーラーの『巨人』では曲が進んで行くにつれゲルギエフもオケも集中力が次第に増していくのが感じ取れ、最終楽章のクライマックスではテーマを早めのテンポで高らかに歌い上げるその迫力が凄まじかったです。椅子から立ち上がって高らかに朗々とテーマを歌い上げるホルン始めとする金管群。その大音量に抗おうと全力の強奏で美しい高音を響かせる弦。曲は素晴らしい集中力で盛り上がり、クライマックスを迎えて行きました。曲が曲だけに生で聴いて最後盛り上がらないわけがないのですが、その期待の更に上を行く熱演。今回はアンコールはなく、『巨人』の熱気の余韻を残したまま客電が上がったので、帰ってからもずっと頭の中では『巨人』のクライマックスのテーマが鳴っていました。

 やはり生のコンサートというものはいいものです。一度行くと他のもどんどん行きたくなる。さすがにそう頻繁に足繁くというわけにはいきませんが、やはり感性を磨くという意味でもリフレッシュという意味でもこのようなコンサートにはできるだけ行ってみたいものです。

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