2010年11月10日(水曜日)
福澤諭吉『学問のすすめ』より
かの福澤諭吉は『学問のすすめ』の中、文明社会と法の精神の章でこう述べている。今回はちくま新書『学問のすすめ 現代語訳』より引用させていただこう。
もし、国の政治について不平なところを見つけ、国を害する人物がいると思ったならば、騒がずにこれを政府に訴えるべきであるのに、その政府を差し置いて天に代わって自ら事をなすなどというのは、商売違いもはなはだしい。
結局、この類の人間は、性質は律義であっても、物事の道理はわかっておらず、国を憂えることは知っていても、どのように憂えていいのかがわかっていない者である。
例え不便、理不尽に思える法があったとしても、その法が法として定められている以上はどんなに納得いかない物であってもその法を遵守するのが筋であり、それを破ったり、抜け道を探したりすることはあってはならないと説く。そのような場合はその法について政府に訴え、議論をし、その法を改正するか無くすかするように働きかけなければならない。法治国家において、いかなる理由や正義があろうとも法を破ることはあってはならないことで、まずはそのような意識を持つことが必要というわけだ。以上は立法についてのお話だが、これは行政についても全く同様と思える。いくら政府のやり方が理不尽で納得いかないからといって、それを訴えもせず天に代わって自ら事をなすというのは文明社会、法治国家の国民としての意識の低さを憂えざるを得ない。法や行政を無視した独善的な正義は、決して国の正義とはならない。
もはや遠い歴史上の時代に思える文明開化の最中に福澤諭吉が著したこの本を読むと、志が高いとはこのようなことをいうのだと思い知らされる。『学問のすすめ』が出版されてから130年。日本は彼が求めた理想に近付けているのだろうか。今の日本を彼が見たら、一体何を思うのだろうか。
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