2007年11月11日(日曜日)
『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ
いきなりタイトルと無縁で恐縮だが、風邪を引いた。激しい喉の痛みと嫌な粘液から始まり、今は微熱と咳になっている。ちょっとしたトラブルがあったこともあり、この週末は割とドタバタしていたのだが、家で落ち着いてから、読みかけていた残りの3分の1くらいを一気に読んだ。カズオ・イシグロ、日本生まれのイギリス育ち、名前は100%日本人だが書いている小説は英語だ。そして普通の海外小説のように和訳されている。イギリスで最高の文学賞であるブッカー賞を『日の名残り』で受賞した。そこまでは知っていた。けれども、この作家の作品を読むのは今回が初めてだ。
元々は書店(確か渋谷ビックカメラの隣の文教堂)で平積みされていて、カセットテープが一面にモノトーンで描かれている表紙に目が止まった。次にタイトルに引かれた。カズオ・イシグロもちょっと読んでみたかったんだよなと思い出したが、結局その場では買わず、後に古本屋で見つけて買ってきた。
主人公の女性、キャシー・Hの独白の形で綴られる、この作品の語り口は静かだ。自らを優秀な介護人と自負するキャシーが、静かに仕事や、自分の幼少期を語り始めることから物語は始まる。静かで一見ありきたりだが、少女や少年の細かな心の揺れが見事に追体験できる見事な筆致に引き込まれる内、少しずつ、微妙にだが確かにどこかタガが外れた、その世界のずれが明らかになっていく。
最初は、幼少期や青春期の挿話を交えた介護小説のようなものかと思っていた。レベッカ・ブラウンが『体の贈り物』や『家庭の医学』で描いてみせたような世界だ(ちなみに、どちらの小説も素晴らしい)。だが、この『わたしを離さないで』は明らかにそれとは違う。非常に残酷な運命に振り回される少年・少女達を、その内面を精緻に生々しく描きながら、それでも全体としてはむしろ淡々と、整然と、解説の中の言葉を借りれば非常に抑制の利いた文体で、巧妙に描き出している。長編全体を通して決して焦らず、少しずつその世界を垣間見せていき、様々な挿話が見事に伏線となって絡んでいく、そのじっくりゆったりとにじり寄るようにクレッシェンド・アッチェランドをかけていくような構成が、平凡に思えるエピソードにすら不思議な緊張感と不穏な空気を持たせていた。そして少しずつ明らかになっていく悲劇的な運命に対する内面の心理の描写と全体としての距離の置き方が非常に絶妙で、それがこの小説の静かさに満ちた情感を生み出している。
Amazonのレビューや一般の書評ではSFやミステリーといった分類も見られるが、この小説の本質はそこにはない。これは人間を描いた小説だ。運命と、人間を描いた小説だ。それも素晴らしい構成力と、叙情性を伴う叙事性を核に持った、素晴らしい小説だ。カズオ・イシグロの他の小説も読んでみたくなった。次はやはりブッカー賞受賞作『日の名残り』だろうか。
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