2007年11月06日(火曜日)
夜景に染みるKeith Jarrett
- ayum
- 23:57
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先週末は妻の実家である佐賀に帰省していた。盆と正月は新潟に帰るということで、今の時期に佐賀へ娘を連れて帰省した訳だ。今回は妻と娘はそのまま佐賀に二週間滞在し、私は日曜に単身福岡空港経由で横浜に帰ってきた。羽田空港からウチの最寄り駅である日吉へは、三、四年ほど前から直通のリムジンバスが通っている。値段は電車で行くよりわずかばかり高くつくが、確実に座れるし、乗ってしまえば後は眠っていても羽田まで、日吉まで連れて行ってくれるので非常に楽だ。そんな訳で、この直通バスが運行を開始してからは羽田-日吉間は必ず利用している。ここ数年は公私ともに飛行機を使う機会が増えているので、年に10往復以上は使っているだろう。
このバスは、高速道路を利用して横浜駅、みなとみらいを通過していき、横浜ベイブリッジを渡って羽田に向かう。帰りも当然同様のルートだ。羽田から日吉に戻る場合、時間帯は大体夜9時や10時になる。するとこのバスはベイブリッジからみなとみらいの夜景を堪能できる、絶好のハイウェイルートを通り抜けていく。羽田からの帰りで、密かに楽しみにしてる風景だ。
ベイブリッジから見る夜景は、その橋の両側で極端に風景が変わる。羽田から帰る際は、右手にコスモクロックやクイーンズ・スクウェア、インターコンチネンタル・ホテル等が見渡せる、小洒落た横浜らしい都会的で静かな夜景だ。サングラスにトレンチコートを着たニューヨーカーがクールに立つように、静かにすましてそれらのみなとみらいの建物達は風景を作る。それはビルの白く冷たく明るい光と、空にポツポツと、しかし多数の輪郭を描く航空機の赤く暗い、記号的で寡黙な誘導灯、そしてアクセントのように数少なく、しかし目を引く、若い星のような青いイルミネーションの夜景だ。要するに都会的で洒落ていて、クールな夜景だ。
一方、左手側には今度はベイブリッジよりも下の視線一面に光熱灯のオレンジ色の明かりに照らされた無数のクレーンやコンテナ、倉庫が見える。右側の都会に隠れた、ちょっと治安の悪いダウンタウンのように、少しばかり野粗な空っ風を身に纏ったように、やはりこちらも寡黙にたたずんでいる。ベイブリッジからはその両方の夜景を目にすることができる。
その夜景に合わせて、いつの頃からだろうか、羽田をバスに乗って出る際は、必ずKeith Jarrettの『The Koln Concert』をかけるようになった。Keith Jarrettに限らずだが、ジャズには都会の夜がよく似合う。あるいは大都会でなくとも、小洒落てはいなくとも、とりあえずビルのある夜景によく似合う。演奏者や曲によって、横浜のような港町の夜景なのか、西新宿・都庁周辺のようなどこまでも無機質に礼儀正しく格調を整えたビル群の夜景なのか、それとも京都・先斗町のような雑多な音と人にあふれた夜景なのかはともかくとして、とにかくジャズはある種の都会の夜景によく似合う。よく晴れた秋の日の、爽やかな風が多少強すぎるにしても心地よい阿蘇山の原野の真ん中では、なかなかジャズを聴きたいとは思わない。とにかく、このベイブリッジから見える左右風合いの違った都会の夜景を、いつもKeith Jarrettの『The Koln Concert』を聴きながら窓越しに眺める。その音楽は、都会の夜景の美しさと冷たさ、華やかさと儚さを、いつもしんみりと引き立ててくれる。それはこう語りかけているように思える。この素晴らしく美しい壮大な景色は、僕達が作り上げた紛れもない現実であり、結晶だ。けれどもそれは同時に、怖いぐらい儚い夢でもあるんだよ、と。
羽田を出発する際に『The Koln Concert』の再生を始めると、ちょうどPart1がクライマックスに差しかかり、音楽の中から芽生えた息吹が少しずつ大きく躍動を重ねていく中でベイブリッジを渡り、横浜駅の上を回っていくことになる。ほぼ間違いなく、そのタイミングだ。夜のハイウェイはそれほど混まない。この音楽の美しい躍動感が逆説的に語る都会の夢を後に、横浜駅の葉の裏の気孔のような形に連なったホームを最後に上からグルッと眺めて、横浜の都会的な夜景は終わりを告げる。その頃に大体時を同じくして、Part1も少々の余熱を残して演奏が終わる。後は薄暗い沈黙が居座るバスが、放っておいても律儀に事務的に日吉駅前まで送り届けてくれる。しんみりと、夜景は終わる。
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ロマンティックだなぁ〜。文体もハードボイルドでカッチョイイネ!ほんで都会っていいよね〜、人が集まる所には音楽が息づいてるわ…。都会の寂しさと、渇望みたいなんと人間関係のあり方が今の音楽なんだろ〜かねぇ。
もしかしたらだけど、大自然の田舎の大家族の中では、音楽はいらないかも知れないね。でも音楽はとっても個人的で、パーソナルな聞き方をするけど、演奏家の現場は決して孤独じゃあないもんねぇ。
ジャズは現代的で実は響きという点ではドデカフォニックと兄弟みたいな感じがするよね。現代的(都会的)で好きだなぁ。
あゆむがジャズなら、おれは現代音楽だな。ほんであゆむの雑記帳の兄弟みたいな、だいすこの雑記帳もよろしくだよ〜☆
う〜ん、俺がジャズかっつうと、それはちょっと違う気もするけどな(苦笑)。
つっきは現代音楽は現代音楽かもしれんが、現代音楽一般よりは熱すぎる。
南米系だな、南米系(笑)。
まぁでも確かに、ジャズと現代音楽は都会の寂しさと渇望、希望と失望、
物理的な距離の近さと精神的な距離の隔たりのギャップ、引いては人間関係のあり方、
そんなものを感じさせるという点では似てるのかもしれん。
同じ命題を違う視点で切り出したような。