2005年12月14日(水曜日)
一期一会
たまきやのおばあさんが亡くなったそうだ。日吉で"おまかせ定食たまきや"という古い木の看板を出して、普通部通りをTSUTAYAの方へと一歩入ったところに小さいが雰囲気のある店をかまえていた。整体のコトー先生のBLOGでそれを知った。もう日吉に引っ越してきて4年半を超えるが、実はこのたまきやには一度しか入ったことがない。一回しか行ってないから逆に覚えているのか、不思議とその時のことは印象に残っている。
夏の土曜日、会社に休日出勤して帰ってきた後のことだった。夏休み明けの休日出勤、何だかこのまま家に帰るのも憂鬱な気分で、古本屋のエルダーズに寄った後に夕飯を食べるところを探していた。夜の十時前くらいだ。エルダーズからメールロードを通って中央通を横断し、そのまま普通部通りに出ようとすると右手にたまきやがある。"おまかせ定食たまきや"の看板。その前で一分ほど立ち止まって、入るかどうか考えてから意を決して入った。初めての店に入るのは実は結構勇気がいる。
入るとおばあさんがいきなり笑顔でも仏頂面でもない、割と中立的な声で話しかけてくる。「今日はアジの開きだけどいい?」と。それを聞いてちょっとテンション低めに「ハイ、お願いします」と応えながら、「凄ぇ、ホントに"おまかせ定食"だ。選択肢がねぇ!」と思ったのを覚えている。カウンターには先客が一名いたので、入ってすぐ左手の木の切り株のようなテーブルに座った。店内に客は私含めて二人。TVからは野球のニュースが流れていた。おばあさんを含め、三人とも無言。私はエルダーズで買ってきた二冊の本を「どっちから読もうかな?」とパラパラめくっていた。アジの開き定食が出てくる頃に、本を読んでいた先客は帰り、店内には私とおばあさんだけになった。私に料理を出すとおばあさんは暖簾をしまう。一日の最後の客となってしまった。アジの開きと大根のきんぴらのような小皿、そしてご飯にうどんだったと思う。静かで薄暗い店内で、私はゆっくりとアジの開きを食べた。うどんがおいしかった。小皿の料理はカウンターの上の大きなタッパに半分ほど残っている。あれをどうするんだろうな、明日も出すのかな、と思った記憶がある。その奥で、おばあさんは食器を洗ったりして手際よく店じまいの準備をしていた。
食べ終わり、食器をカウンターに「ごちそうさまでした」と持って行くと、お礼を言いながらおばあさんは入ってきた時と違って笑顔で話しかけてくれた。お勘定を払いながら恐らく三分にも満たない立ち話をする。何を話したのか、正直よくは思い出せない。「仕事帰りでね、なかなか大変ですよ」くらいのことだったかもしれない。とにかくそんなに深い話ではない、当たり障りのない簡単な身の上話。最後お釣りを渡しながらおばあさんが「がんばって」と言ってくれたことを覚えている。何に対しての「がんばって」だったのか。仕事だったか、夏の暑さだったか。肝心な記憶がぼやけているが、とにかく「がんばって」と笑顔で励まされた。それに対して「ありがとうございます。どうもごちそうさまでした」とお辞儀をして、私は店を後にした。家に帰りながら「なかなかいい店を見つけたよ」とメールを打っていた記憶がある。
この日に買った二冊の本のことは実は日記に書いている。8/20。つまりこの日が私がただ一回だけたまきやに行った日ということになる。そしてその次の週、万博に出かけて腰痛にトドメを刺され、コトー先生の整体院に行くことになる。ここでコトー先生のBLOGを知らなければたまきやのおばあさんの訃報を知ることもなかったわけで、そう考えると人の縁とは不思議なものだ。そしてその後一度たまきやに行こうと思った日があって、実はその日のことも特定できる。風邪をひいて会社を休んだ月曜。体に優しい料理が食べたくて、たまきやに足を運んだのだ。10/23で風邪をひいたと書いているので、その次の日、10/24だ。その時には既に店の扉に「都合によりしばらくお休みします」と張り紙がされていた。
一度しか行かなかった店。一度しか行けなかった店。あの時はまさかもう二度とあの店に行くことができないだなんて欠片も思っていなかった。これまでそこにあり続けたように、当然のようにこれからもずっとあり続けるだろうと思っていた。時は流れると、いつも自分で言っていることなのに。本当に一期一会。状況から思うに、あの時のおばあさんの「がんばって」は、きっと本当に心からのものだったのだろう。それに対する私の「ありがとうございます。どうもごちそうさまでした」は、その言葉に釣り合うものだったのだろうか。その時の私は、恐らくかなり遠慮がちな笑顔であっただろう。意外と、そういう場面では人見知りしてしまう。
たまきやのおばあさん、心よりご冥福をお祈りいたします。今度は決して遠慮がちにではなく。
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ほんと突然のことでした。
入院する2日前にウチの整体院に来たんですよ。
顔色が悪く体調が悪いと言っていたので病院に行く事を強く勧めたんだよね。
もうそのときガンは末期だったんだ・・・
その後姿が僕が見た最後になりました。
人ってわからんね。
僕も仕事は一期一会だと思ってやってます。
今までにも何回も患者さんを亡くすという経験があったもので。
別に不吉な意味ではなくてね。姿勢として。
でも日吉で食べに行くお店がなくなったことは痛いなぁ。。。
コトー先生、今日はどうもありがとうございました。
しかし本当にこういう体調の優れない時ほど食べたい料理だったのに残念です。
"一期一会"という言葉は実感できた時にいつも後付けで、
なかなか難しいものだなと思ってしまいます。
その心は大事にしたいものだけど、
普段から意識するにはあまりに重い言葉のようで。
でもきっと夏頃のおばあさんはもう本当に一期一会の気持ちで店に立っていたんでしょう。
その強さに頭が下がります。
その心は大事にしつつ、
とりあえずは来年、お互い生きて会いましょう(?)。