2005年12月04日(日曜日)

優雅な休日、ロシアより - 前編

 最近の携帯は"氣志團"が一発で変換できるらしいということで、予測変換機能に携帯でも使われているAdvanced Wnn V1.2が入っている私の新しいPHSでもできるかと思い、試してみました。きしだん。・・・一発変換できました。氣志團。どうやらこのPHSは最近の携帯にも負けないようです。まぁ、こんなもん一発変換できたってそもそも使わないんですが(笑)。ちなみに前のPHSは"祇園"も変換できなかったのですが、こちらも変換できました。大きな進化です。

・・・すいません、ここまでの話は本編とはまったく関係ありません。昨日は上野で東京都美術館のプーシキン美術館展、そして東京文化会館でレニングラード国立歌劇場オペラ『椿姫』を堪能してきました。ロシアのプーシキン美術館よりマティスの傑作『金魚』を始めとする大部分が日本初上陸の貴重なコレクションを集めた美術展、レニングラード国立歌劇場オペラと、上野でロシアをはしごする優雅な休日を過ごしてました。

 晩秋の上野公園は紅葉もちょうど見頃で、普通に散歩するだけでもいい感じな風景でしたが今回は明確な目的があります。東京都美術館に行ったら、いやーびっくりしました。もの凄い混んでます。入場制限がかけられる程の圧倒的な混雑。「美術展なんて所詮そんなに混まないだろう」という私の思い込みをあっさり打ち砕いてくれる人ごみに、出端からちょっとやられた気分でした。まぁプーシキン美術館はエルミタージュ美術館やトレチャコフ美術館と並ぶロシア屈指の美術館ですし、特にそのフランス近代絵画コレクションのクオリティの高さは世界屈指。今回来た私が知る有名どころだけでもルノワール、エドガー・ドガ、クロード・モネ、ルソー、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マティス、マネ、ピカソが一堂に会する豪華な美術展。そりゃ人も集まるってもんかもしれません。

 人ごみに負けずに壁際に張り付いて、じっくりと人ごみに紛れながら鑑賞すること約一時間半。相変わらず絵画は素人鑑賞な私ですが、何点か惹かれる作品がありました。以下思い出した順に、まずは何と言ってもクロード・モネの『白い睡蓮』。色彩や筆遣いが非常に鮮烈で、見た瞬間思わず引き込まれて息を止めるほど。自宅に日本庭園風の睡蓮の池を整備し、そこに太鼓橋をかけたモネは1899-1900年にかけて18点の睡蓮の連作を描いたのですが、この絵もその連作の中の一つ。とにかく力のある作品でした。奥行きのある緑の様々なバリエーションと生命感溢れる描画線。改めて買ってきた図録で眺めてみるわけですが、やはり印刷された絵では油絵の筆遣いが醸し出す、筆致の凹凸や微妙な筆加減から来る躍動感は伝わりません。本物凄い。描かれた線でなく、筆の通った毛先の微妙な加減が表現になる。日本の書道にも共通する筆の躍動感。これは印刷では伝わりません。静謐な睡蓮の池の風景に生命感を与える筆の躍動感。素晴らしいです。そしてこの作品、何と言っても描かれる水面が非常に美しいのです。こんなに美しく絵で水面を、光を表現できるのか。素直に感嘆しました。本来重たい色彩の印象のある油彩が、本当に水面が反射して睡蓮の葉が映り込んでいるように透明感を持って描かれているのです。ベルギー象徴派展に行ったときも水面の描画が美しい作品に足を止めていました。どうやら私は水面が好きらしいです。

 そしてやはり今回の最大の目玉であるアンリ・マティスの『金魚』。そもそもは電車の吊り革広告でこの美術展の広告を見た際、この絵を見て「ああ、これはちょっと本物見てみたいなぁ」と思ったのが始まりでした。思えば私が美術展に行くのはいつも電車の吊り革広告がきっかけです(苦笑)。これで三回目。吊り革広告も侮れません。そしてこの『金魚』、やっぱりいい絵でした。思ったより大きい絵で、「これじゃ金魚っつーより錦鯉だな」と思ったものですが(笑)。ピンクや緑を使った強烈な色彩と大胆な構図の中に、ちょっとユーモラスな赤い和金が4匹。理屈抜きに目が止まる不思議な力を持った絵でした。口をパクパクさせながらゆったり泳いでいる金魚がコミカルで、一歩踏み外すとサイケな印象になりそうで、さらにもう一歩踏み外すと下品になってしまいそうなピンクと緑と紫の取り合わせが、それに疑問すら抱かないほど見事にゆったり調和していて。強烈だけど、ゆったりしているのです。そしてどこかあどけない。フォーヴィズムというのは心に映る色彩を描くのが特徴だそうですが、なるほど、マティスの心にはこのような色が見えていたのでしょうか。金魚。強烈なのにコミカルでゆったりしている、そんな不思議な印象を持つ絵でした。

 そしてもう一点強く印象に残っているのがピエール・ボナールの『ノルマンディーの夏』。私は初めて聞く画家です。夏の終わりのよく晴れたノルマンディー、別荘のテラスで会話する妻とその友人を描いたこの作品は、非常に柔らかな光の印象が素敵でした。おそらくポイントは光なのだろうなと思うのです。景色を美しく照らす夏の光を表現したかったのだろうと、そう思うのです。それもおそらく真夏の強烈な日差しでなく、初夏の昼下がりの柔らかい陽光。私も好きな光です。風景も人物も、その光の中に溶け込むように曖昧でぼやけた輪郭で描かれて、線の境目というよりは色彩の境目が輪郭になって光の中に風景や人物が浮かび上がってくる感じ。柔らかで暖かで爽やかな光の印象を表現したこの絵は、何故か心に残りました。

 後はよかったと思うものを簡単に。ルノワールの『黒い服の娘たち』は描かれる女性のもの憂げな表情が印象に残り、何となく「ああ、パリだな」と思ってしまうちょっと瀟洒な雰囲気があってさすがだと思いました。フリッツ・タウローというのも知らない画家だったのですが、『パリのマドレーヌ大通り』は立体感を強調した奥行きのある遠近法と、詩的な哀愁の漂う空気が印象に残っています。カミーユ・ピサロの『オペラ大通り、雪の効果、朝』も同様で、明るく柔らかい色彩と点描的な筆致が醸す少しぼんやりした空気が詩的な静謐さを醸していてよかったです。アルベール・マルケの『街路樹にかかる太陽(パリの太陽)』は一瞬「適当じゃないのか、これ?」と思えるような線で描かれた木々と日没前の風景画。シンプルな線と色彩で不思議に哀愁を漂わせる、穏やかでいてそれでもかつ絵画というよりは少しイラスト的な要素も入ったこの絵は印象的でした。最後はやはりゴッホでしょうか。『刑務所の中庭』。相変わらず病的です(苦笑)。刑務所で輪になって運動をする33人の囚人たち。死の5ヶ月前に濃い緑を基調として暗く重く描かれたこの絵は、当時のゴッホの心境を表してるのでしょうか。希望も持てずに鬱屈した表情で延々と輪を描き続ける囚人たち。それはゴッホに取っての希望なき人生の輪廻だったのかもしれないなと思いました。

 というわけでプーシキン美術館展、人ごみにはやられたものの、なかなか楽しんできました。たまには絵を見るのもよいものです。絵は自分で描く技術もセンスもまったくないので、非常に素人的な見方しかできないわけですが、逆にそれだからこそ純粋に見れるという一面もあるのかもしれません。深くは、見れてないのでしょうけど。

 というわけで次回は『優雅な休日、ロシアより - 後編』、レニングラード国立歌劇場オペラ『椿姫』についてです。

Trackback on "優雅な休日、ロシアより - 前編"

このエントリーのトラックバックURL: 

"優雅な休日、ロシアより - 前編"へのトラックバックはまだありません。

Comment on "優雅な休日、ロシアより - 前編"

老婆心ながら、「睡蓮」を描いたのは、マネじゃなく、モネだろう
・・・とか思ったら、ちゃんとリンク先は、モネのページになってるぢゃないか。
参考までに、エドゥアール・マネの方:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8D

おう、間違えた。失礼しました。
クロード・マネって誰だかわからん(苦笑)。
どうやら途中から頭の中でモネとマネが完全に入れ替わっていたようです。
まったく紛らわしい!?
とりあえず修正しときました。

  •   ayum
  • 2005年12月06日 01:08