2005年03月10日(木曜日)
晴れの舞台
久しぶりに学生時代の写真なんか眺めてみてふっと思ったのですが、社会人になって仕事をやってると実は意外と「晴れの舞台」ってないものです。いや、もちろん仕事の区切りというものはありますし、ある程度大きなシステムのカットオーバーを無事に済ませるとそれなりの充実感や打ち上げなんかもあったりしますが、なんというか「晴れの舞台」ってないのです。定演の写真とか見てるとまぁ、文字通りの「晴れの舞台」で、そこに向かって積み上げてきたものをちょっとおめかししたりなんかして人前で発表して写真に写って。社会人になって舞台は学生時代よりずっと広くなったはずだし実際そうなのに、何故か「晴れの」という気があまりしないのです。単純に写真を撮らないから?オーディエンスがいないから?うん、そうなのかもしれません。見えないところでシステムを使ってくれているユーザーより、直接目の前で演奏を聴いてくれる観客の方がわかりやすい。人の目を意識することで「晴れの」という感覚が生まれてくる。よくも悪くもです。それは逆説的には、私はステージでギターを弾いているときほどにはシステムを使うユーザーのことを意識していないということでもあるのです。まったく無礼な話。結局は自意識の問題でしょうか。
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