2004年04月25日(日曜日)
後ろ向きな日曜の午後
日曜日の夜、風呂から上がって一息つくと、とてもホッとして落ち着くのと同時になんだか少し侘びしい気持ちにもなる。いつからか、休日の意味が変わってきたように思う。学生の頃も、そりゃ休日というものはあった。カレンダー上の休日というのでなく、授業もなく、部活もなく、バイトもない、要は何も用事のない家を出る必要のない日。そんな日にはよく思い立って部屋の掃除をしたり床屋に行ったりしたものだ。100%自由な時間を手に入れた時は、案外何かを書こうとかギターの基礎練をしようとかは思わないもので、大抵は後にも先にも何も生み出しはしない非生産的な、どちらかというとこれまでの日常で溜め込んできた雑事の精算的な行為に従事する。それは今も昔も変わらない。
けれど、その後が何か違うのだ。休日の終わりに、心を構えるようになった。「さぁ、明日から・・・だ」と。昔は別段そんなことも意識せず、普通にHPを更新して寝て起きて、休日も何も変わらない時間が流れていたように思うのだが。かつては連綿と切れ目なくつながっていた休日とその他の日は、いつからか間に大きな境目ができてしまっていた。当然と言えば当然のこと。明らかにそれらは違うのだから。過ごす時間の内訳においても、場所においても、心理的な面でいっても。けれども、何故休日の終わりに身構えなければならないんだろうかと思う。何故休みの日の終わりに、寂しさに似た気持ちすら覚えなければならないんだろう。それは次の日を、少なくとも完全には、前向きに迎え入れられていない証拠だ。色々思うところはあるけれど、結局、そろそろ潮時だということなのかもしれない。
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