2003年12月06日(土曜日)
生活がかかった音楽と生活に根付いた音楽
やはり、生活がかかった音楽よりも、生活に根付いた音楽の方が強いように思う。ハングリー精神じゃ音楽の才能なんて育たない。ある程度以上のところに、ハングリーじゃ乗り越えられない壁がある。フラメンコなんかは生まれた時からそこに音楽があり、文化がある。クラシックやロックじゃそうはいかない。例え両親が高名な演奏かとかだったとしても、所詮はその家族内だけで留まってしまう。今の世界に街ぐるみでクラシックとかロックとか、そんな文化を息づかせているところはないですからね。その点フラメンコとかソンとかアイリッシュとか西アジアの方とか、そういったものは少ないながらも生活空間がまるごとその音楽の土壌であり文化であるという、そんな所が確かにある。そしてその文化空間の中で生まれ、育ってきた人達は、外の世界で音楽を身に付けてきた人がどうしても追いつけない何かをやはり持っているものです。そしてそれがそのまま音楽の力になる。音楽と魂のシンクロ率100%って感じですか。そんな音楽もやはりいいものです。他所者には本当にその音楽が理解できるのか等という文化人類学的に素朴な疑問もあるわけですが。
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