2003年07月07日(月曜日)

都会の夜の天の川

 今日は七夕です。つまりはこのHPの開設記念日ということになります。このページも早足掛け五年間。結構しつこく続けさせていただいております。立ち上がっては消えていくHPの多いインターネットという社会の中で、個人のHPで五年間というのはもう長寿の部類に入るのではないかなと勝手に悦に入っています(笑)。これもちゃんと足を運んでくれて、時にBBSに書き込んだりメールやら何やらでHPの感想なりを伝えてくれる皆様がいたからこそのことで、大変感謝しております。最近は忙しさにかまけて内容がやや薄くなり気味ですが(苦笑)、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 ・・・と、殊勝に月並みなご挨拶を述べさせていただきましたが、実は今日この七夕の日、HP開設五周年というこの日、今日は下手したら今までの人生で最悪じゃないか、っていうくらいのくだらねぇ酒を月曜から飲んできました。いえ、決して酒自体がまずかったわけではないのでしょう。ただもう、あの場が・・・。はぁ、くだらねぇ・・・。なんであれが決起集会なんでしょうか。所詮今回のプロジェクトなどその程度、ってことでしょうか。決起集会のはずなのに、何だか一気にモチベーションも下がってしまい、「こんなんだったら家帰って編曲するなり本読むなりしてた方が100万倍はいい、ってゆーか会社で仕事してた方がよっぽどいい」くらいのノリで非常にブルーになって帰ってきました。深夜0時を回って家に着いた時、「何で俺は今日こんなに遅いんだろう?」と、いつもに比べ遅いわけでもないのになんだかやけに憂鬱に感じましたからね。はぁ、くだらねぇ酒を飲んだ・・・。

 話を七夕に戻しましょう。たまにはそんな、ちょっとセンチに過ぎるような話を扱ってみるのもいいかもしれません。まぁ、私が語ってセンチになるか、というのはまた別問題なわけですが。ご存じの通り七夕は、お互い愛しあいながらも天の川を隔てて輝いている織姫と彦星が、年に一度だけ天の川を渡って邂逅を果たせるという、今でいう所の遠距離恋愛的な夜空の伝説です。私達の視点からすればお互い見える位置にいるような二つの星は、彼らからすればきっと絶望的なほど離れているのでしょう。

 ただ、東京で夜空を眺めていても、彼らを決定的に引き離しているはずの天の川など、ただの一度も見えた試しがありません。ミルキーウェイというその名の通り、暗い夜空に薄く白くかかった静かな光の流れは、明るすぎる東京の空では僕らの世界の光にかき消され、まったく飲み込まれてしまっているのです。では、隔てるものがなくなった織姫と彦星は、一緒に幸せに暮らしているように見えるのでしょうか。哀しいことではありますが、実はそれもそうとはとても見えません。そもそも、織姫と彦星すら下の世界の人工的な光の闇に消されてしまい、僕らの目には見えないことがほとんどなのです。世界を明るくしようとした光が、皮肉にも夜の空を暗く包み込む闇になる。どうあがいてみても光には常に影が付きまとう、ということなのかもしれません。暗い光に包まれながらも時折姿を見せる織姫と彦星は、枯れ果てた天の川の河畔で、やはり光に飲み込まれてしまった他の周りの星達のことを偲びながら、ただ孤独に輝いているようにも見えるのです。そんな二人は、この七夕の夜に出会うことができたのでしょうか。流れなき枯れた天の川を渡って、荒涼とした、妙に明るい白くぼやけた夜空の大地に歩を進めて。七夕伝説自体ロマンチックながらも悲劇的な要素の強いお話ですが、現代の七夕伝説はもう純粋な悲劇でしかないように思えます。

 いまだに鮮烈に焼き付いています。幼い頃、実家の車庫の屋根に昇って、夜空を眺めた時の風景を。灰色の空でなく、暗く、何もなければただ不安だけを思い起こさせるような真っ黒な空に、白く静かに瞬いている星が鏤められるように鎮座しているその風景を。そしてその中を、本当に白く薄く、微かに揺れてたなびくように流れている天の川を。今思えば、年に一度とはいえその川を渡って出会う織姫と彦星の物語は、確かに悲劇というよりは美しく儚い夢物語という気がします。きっと、それは哀しい宿命の中でも希望に包まれたお話だったのでしょう。今となっては、こっちが気恥ずかしくなってしまうような夢物語。逆に憧れすら抱いてしまいそうな。ねぇ、渡るべき天の川は今も存在するのでしょうか?

今日の一言:『暗い夜空が、一番明るい』

Trackback on "都会の夜の天の川"

このエントリーのトラックバックURL: 

"都会の夜の天の川"へのトラックバックはまだありません。

Comment on "都会の夜の天の川"

"都会の夜の天の川"へのコメントはまだありません。