2003年06月10日(火曜日)
想像力の欠如した世界
『Garbage』を読み返していて何となく思ったことなのですが、小説中で「消滅」を宣言し(某白い集団みたいだな・・・)、それを実行するチャットルームの連中は、何というか物凄く、想像力というものが欠除しているように思います。自分達が消した相手も自分達と同じように現実世界で生活していて、息をして、飯を食べ、会話も交わすということを想像する能力。本当ならそこに気付くことくらい想像力とすら言わないでしょうが、彼らはモニタの中で応答する文字から先の、そういった当たり前のことすら想像できないくらい圧倒的に想像力が欠除しているように感じられるのです。そこにあるものはあくまで応答を返す文字であって、ネットワークの先につながっている誰かではない。彼らにとって「消滅」は本当に、ただ文字が消えるだけのことに過ぎないのです。そう考えると何だか恐ろしい気もします。ただ文字を消す感覚で人も消せる。圧倒的な想像力の欠除。まぁ実際に現実世界のネット世界にはまっている人達がそうだと言っているわけではありませんが、最近は世界から想像力というものが欠除してきているなと感じるようなことはままあります。
思えば、犯罪なんかもいつの頃からか、そのような想像力の欠除が生み出したような印象を受ける事件がたくさんあります。もう随分古い話になったような、神戸の例の事件もそうですし、大阪の小学校の事件もそうです。その他コンビニでいきなり立ち読みしてる人の背中を突き刺した例の事件や、度重なる通り魔事件、ストーカー事件・・・。相手が自分と同じような、極端に言えば同じ人間だということを想像する能力の欠除。まさにそれこそがモンスターではないのかなと思うわけです。
自分の書いたものを少したってから読み直してみると、自分でも書く時意識してなかったことに気が付くようなことがままあったりします。まぁ私の場合、テーマ、タイトル、書き出し、結末だけ大雑把に決めたら、後はアドリブのノリで書いていって、書き上がったら誤字脱字のチェックくらいして「はい、終了」ってのがほとんどですからなおさらです(苦笑)。今回に至ってはテーマ、タイトル、書き出しだけ決めて結末すら決めず、「さぁ、書いてくれ、俺の両手よ!後は何が出るかわしゃ知らん!(←オイ)」くらいの勢いで書いて、本気で一回も読み直さずに上げたので尚更です。しかしまぁ、これくらいの短いものならそれでいいのですが、本格的な長編となると最後までいつもの自動筆記というわけにもいきません。構成やペース配分をちゃんと意志の統率下に置いてあげないと色々ととんでもないことになるのは目に見えています。自動筆記のリハビリはしたので、次は落ち着いてしっかりと書くことのリハビリですね。
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