2003年04月13日(日曜日)
空白への恐怖と選挙戦のあり方
漫然とした休日に、得体の知れない恐怖感に近い感覚を覚えるようになったのはいつからだろう。何もしないのが怖いのでなく、何かに静寂を破られるのが怖い平穏な休日。ただ無為に過ごすだけの時間を、遮られることに対する予感的な不安。それが嫌だという、それだけの理由で出社をすることすらあったりする。そして、大抵の場合、予感は当たり、何かが不意に飛び込んでくる。ただ静かにいたいだけの穏やかな休日に。
ともあれ、今日は統一地方選挙でした。私はいつものように選挙自体には投票に行くものの、相変わらず誰にも票を入れずに白紙投票というスタイルを貫いてきました。「テメェら全員不信任だ!」という確固たる意志の表れですが、選挙的にはただの無効票です(苦笑)。ってゆーか、投票者の名前を書いて入れるだけじゃなくて、「全員不信任」という選択肢も作っておいてほしいですね。いや、マジで。
そもそもですね、選挙運動の一般的なスタイルが気にくわない。宣伝カーやら何やらが走り回るとか、そんなのは別にいいのですが、どいつもこいつも政策そっちのけでひたすら候補者の人柄やら政治的後ろ楯やらばかりを繰り返すばかり。「まじめ、まじめ、まじめ」って、COLTか、キサマら!? そして肝心の政策をアピールする前に「お願いします、お願いします」って、どう考えても卑屈なだけです。朝っぱらの駅前で候補者自ら会社に向かう人々としきりに握手をしていたり(私も求められましたがガンくれて去っていきました)、「雨の中、最後の最後のお願いをしに参りました」って、「お願い」じゃねーだろ、とかブチ切れてみたり。どいつもこいつも卑屈なだけで、圧倒的な求心力を持って人を引きつけるようなヤツがいない。「お願い」だなんて言わなくても、ビジョンやオーラに触れるだけで思わず投票したくなってしまうようなカリスマ性がまったく感じられません。やれやれです。こんなのばかりじゃ日本も暗いななどと思いつつ、私は今日も全員不信任の意図を込めて白紙投票をしてきた次第です。
しかしですね、今の選挙のシステムってちょっと問題があるような気もするのですよ。候補者が街頭演説やら何やらで、各自それなりに政策なり主義主張なりをアピールすることはあっても、例えば県議会なら県議会に立候補している人全員の考えを一度に聞くことができる場というのがまったくない。街頭演説とか雑誌の記事だとか、たまたま出会ったり出会わなかったりで、実に偶発的です。よほど強い意志を持って「全員の意見を聞いてやろう」と思わない限り、それは実現しないというのがそもそも間違っているように思うわけです。そしてそう思ったところで、私達には仕事なり何なりといった日常の諸事があるわけで、忙しくて結局実現は難しいでしょう。
何というかですね、選挙区ごとにでも何でもいいですが、立候補者のプロフィールとか政策とか主義主張とかを全員分まとめて掲載しているHPとかあってもいいかなと思うわけです。既にあるのかもわかりませんが、一応ネットの動向には詳しい(はずの)私が知らない辺り、一般にはそんなに広まってないでしょう。そういうのがあれば候補者を一人ずつ追っかけたりしなくても、とりあえずそのHPにアクセスすれば一通りの情報が手に入るわけです。結構効果的だと思うんですがねぇ。選挙に行かない人だって、大きな理由の一つは「誰が何言ってるわからないから決めようがない」ってことでしょう。政治にそもそも根底から無関心なヤツらには「じゃあテメェら、消費税が200%になっても徴兵制ができたとしても文句はねーんだな!? そん時になってから文句言うんじゃねーぞ?」とバッサリ切ってやればいいわけですが、投票には行こうと思っても上記のごとき理由で二の足を踏んでる人達には候補者全員分の情報が一度に見られるHPは結構有効だと思うのですよ。まぁ視野は短期的になるかも知れませんが、まったく知らないよりはいいでしょうし、きっかけとしてもいいでしょう。何でそんなのやらないんですかねぇ・・・?
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