2003年02月11日(火曜日)
エミール・クストリッツァ
ぎりぎり一杯終電での帰宅に成功しました。とはいえ仕事を終わらせて帰ってきたというよりは、刹那の妥協点を見つけ(無理矢理作り出し)、一区切りつきかけたかなと思ったところで突然社内のネットワークが不調になり仕事が何もできなくなってしまい、半ば強制終了という形での帰還ですので凱旋というほどハイな気分にはなれません。あー、明日乗り切れるかなー・・・。でも明日を乗り切っても木曜に一日でひとつアプリケーション作ってドキュメントも作らなならんし、それでまた金曜日を乗り切れるかどうかが勝負・・・。今週忙しすぎ!何故にこの一週間に集中的にタスクがたまっているのでしょうか?今週を乗り切れば(今のところは)差し迫った予定のない来週にのんびりすることができるのでしょうか・・・?
話は変わって、私は映画は結構好きですが、でもある特定の監督や俳優が特別好きというタイプではありません。そんな私ですが、「この人の映画はいいね」と思う監督が一人います。でも今日まで名前が思いだせませんでした(爆)。その監督の名はエミール・クストリッツァ。世界3大映画祭の主要な賞を総なめにして、世間では天才と言われているらしいです。まぁ、私は世間のことは知りません。そもそもは大学の時『ヨーロッパの音楽』という名の明らかに西アジアの音楽ばかりやる授業(爆)でエミール・クストリッツァ監督の『ジプシーのとき』を観たのが始まりです。その映画のくせに恐ろしく生々しい本気の民族音楽と、それにかき立てられるように湧き出てくる剥き出しの感情のエネルギーにやられました。その後丁度タイムリーに、マスコミに書き立てられるのが嫌で引退宣言をしていたクストリッツァの復帰作『白猫・黒猫』が京都で上映され、その作品のエネルギーに打たれました。とにかく物凄い説得力のある映画を作る人です。
またクストリッツァの考え方がいい。「自分には流れに逆らう血が流れている」と平気で言い切ってしまうアナーキーさ、「音楽をやってるとき監督をやってて、監督をやっているとき音楽の構成を作ってる」という音楽と映像を交錯する感性、その辺りがあの力強く生々しい作品の源泉なのでしょう。そして、彼の映画には常に本物の音楽が流れているのです。中途半端にソフィスティケートされたり、コマーシャルに作り込まれたものでなく、本物の土着の音楽が。それがまたカッコいいのです。『ジプシーのとき』ももう一度観たいのですが、あの作品はビデオもDVDも出てないんですよね・・・。誰かウチの大学の江川某先生からビデオ借りてきてくれませんか(笑)。
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