2003年01月20日(月曜日)
語るべき物語
「語る物語があるうちは、人生は捨てたもんじゃない」
私が繰り替えして観るほど好きな映画のひとつ、『海の上のピアニスト』で上記のような台詞が出てきます。なかなかいい言葉だなと、なんとなく思うのです。語る物語・・・。私は、何を語りましょうか。自分のことでしょうか、周りの誰かのことでしょうか、あるいは空想の物語でしょうか。
もしかしたら、人は年をとるにつれて少しずつ、語る物語が減っていくのかもしれないなと思ってみたりします。小さい頃のような、プラモを持って無邪気に動かしながら語るような類いの空想物語は今はもう語れないでしょうし、もう少し大きくなって小学校の作文で書かされるような、本当に夢物語的な「将来の夢」なども今となっては語れる気がしません。少しずつ、物語は夢物語から現実味を帯びたものに変わっていきます。フィクションはノンフィクションへと変わっていきます。その2つが混ざりあう恋物語は、もしかしたら多くの人にとって最後の夢物語の一種になるのかも知れません。気付くと、現実の物語を、あるいは現実的な物語だけを語るようになっています。それは自分のことかも知れません。周りの誰かのことかも知れません。現在のことかも知れません。過去のことかも知れません。ですが、いつか、気付くと未来の物語は語れなくなっているのかも知れません。そうして、時とともに人は語るべき物語を少しずつ、なくしていくのかも知れません。
『海の上のピアニスト』のストーリーテラーが、語るべき物語を失いかけているところから映画は始まります。少なくとも、物語が失われようとしているところから映画は始まります。そして、彼は語り始めます。それは過去の物語。しかし彼はその過去の物語から、また未来を語れるようになったのかもしれません。それもまたありかなと思います。フィクションや未来を語れなくなる時は、きっと現実世界に打ちのめされている時なのでしょう。いつまでたっても、過去しか語れないのなら、いつかその物語さえ輝きを失って消えていってしまうでしょうが、例えばそんな時には、過去の物語に再生の機会を(意識的にか無意識的にか)求めるのは、悪くはないと思います。そして少しずつ、現在を、未来を、あるいは子供染みた夢物語を、取り戻していければいいのかなと。
語る物語があるということは、結局すがるものがあるということなのだと思います。あまり個人的には好きじゃない甘ったるい言葉でいうなら、希望があるということなのでしょう。あなたには、どのような物語がありますか?そこには、きっとあなたが本当に大事だと思える何かがあるはずです。私は、どんな物語を語りましょう?その前に、どんな物語があるのでしょう?いつからか、言葉に苦しむことが増えてきました・・・。
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