2000年11月07日(火曜日)
悲しみと、孤独の音を
私の求める音とは一体どんな音なのでしょう。それは明るいものでないのは確かです。甘く切なく、センチメンタルな音でもないのは確かです。きっと重く、暗く、哀愁というよりは悲愁を、充足よりは諦めを、円満よりは孤独を求める音に違いありません。深い悲しみを、センチに表現するのではなくあくまで重く、誰かが一歩近寄ってこようとしたらそれを頑に拒絶していくかのような、孤独を彷徨う音を探しているのでしょう。文章を書くことも私にとって同じようなものです。精神に耐えられない重圧がかかった時に、それから少しでも逃げて楽になろうと文章を書く。それは体のよい逃避行動であり、それをしたからといって別に楽になるわけでも気持ちに整理がつくわけでもなく、ただ心が求めるがままに書いているだけです。酒も煙草も同じでしょう。何かあってそこに救いを求めてみても、そこで何かが救われるわけではない。しかしわかっていてもまたそれを求める。その虚しさであり、その根源にある悲しみが私という人間が何かを外に表現という形で出そうとする時の根幹なのではないでしょうか。
今バッハの無伴奏バイオリンソナタが流れています。バイオリンの演奏です。バイオリンの音は時にヒステリックにも思える程深い悲しみを持っています。ギターにはそれ程の音の重さはないようにも思えます。バイオリンの旋律が醸す悲しみの色は、一体どこから来るものなのでしょうか。バイオリンは単音に悲しみを宿し、ギターは和音で悲しみを響かせる、そんな気がします。だから『シャコンヌ』や『サラバンド』などはギターの方が重く、暗く感じられる。逆に『ブーレ』や『プレリュード』と言った単音が主体となりやすい曲ではバイオリンの方が遥かに悲しみが深いように感じられるのです。定演が終わったら、本格的に『サラバンド』を弾きましょう。無伴奏バイオリンパルティータの第1番のものです。それを変にビブラートやテンポルバートを使ってセンチでエロチックに仕上げるのでなく、ズンと威厳のある帝王の音楽として聴かせるのでもなく、どこまでも悲しく、重く、暗く、虚しさすら感じられる程に、あとを引かずにスッと消える儚さと、すべてを拒絶していくような孤独をもって弾きましょう。それが私の求めるもので、求めても充足し得ない逆説的なアイデンティティなのですから。少しずつ、悲しみと孤独を私自身の心と身体に満たしていけるように。
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