2000年11月26日(日曜日)
谷 治毅ギターリサイタル
今日は京大の聖帝殿の待ちに待ったソロリサイタル。私も合奏団の一員として参加してきました。一回生の頃京都アスニーで彼の『大序曲(ジュリアーニ)』を聴いて多大なるカルチャ−ショックを受け(「同じ一回生なのになんでコイツはこんなに弾けるんじゃ!?」とか正直思いました)、ギタ連の一回生会で本格的に知り合って(いや、本当に知り合ったのは2回のスプリングかもしれない?)以来、一緒に「ブランデンブルグおんぼろ四重奏団」を組んで京都ギタ連定演でブランデンブルグ第6番の最終楽章をマンゴレや工繊の女帝と一緒にやったり、京女の新歓で同じステージに立ったり、ただ単に京大のBOXに行って譜面を漁りたいがために付き合わせたり(爆)、尚永ギター合奏団の一員として一緒にアンサンブルをやってみたりしました。そして彼は常に京都でギターを弾く私の最終目標として厳然と存在していただけにその彼の現時点での最高到達点である今日のリサイタルは楽しみであり、だからこそ合奏団の一員として少しでも一緒に関わりたいと思ったわけです。たとえ原色の合奏団のユニフォームがどんなに自分に似合わないとしても(泣)。
今日の聖帝殿の調子はどうだったのか、それは私にはわかりかねますが、とりあえず舞台袖で聴いていた『ハンガリー幻想曲』には凄まじいものを感じました。私の中では本日一番のヒットです。演奏に格を感じました。『シャコンヌ』は、彼曰く「精神的に一番辛い」曲だそうで、その苦悩がこちらにまで伝わってくるような感じもしましたが・・・。合奏団はね、まぁまぁあんなもんじゃないでしょうか。個人の技量は高い、しかしアンサンブルとしての訓練がもう一つ、というのは尚永ギター合奏団の永遠の過大でしょう(?)。そして三部からは私も客席の上の方で聴いていたわけですが、いやいや彼のアセンシオは凄まじい。『内なる想い』自体弾いてる人間をほとんど見かけませんが、あれだけの難曲を見事に弾きこなす技量は感嘆せざるをえません。さすがですね。それ以降の曲は本人もリハの段階から言っていたように半ば力尽きた感もありましたが、それでも凄まじいものがありましたね。彼がコンクールを落とした時の自由曲は、最後『スペイン風3つの小品』の中の『パッサカリア』ですが、それもちょいと辛そうでしたね。そらさすがにあれだけの大曲を立て続けに弾けばばてもするわなぁ・・・。本人もコンパで「アンコールの時はセーハ鳴らんかった」と言ってましたしね。しかしそれでも最後ダメ押しに『ジョンゴ』を独奏バージョンで弾ききってしまう彼は一体・・・?まぁ私には及びもつかない次元に彼はいるのでしょう。それはちょいと悔しいことでもありますが、認めないわけにはいきますまい。コンパの最後に彼の持つギターの製作者の息子さんが「ギター製作者から見た聖帝に欠けているもの」について語っていましたが、それはこちらとしても大変参考になりました。
とりあえず聖帝殿、今日はお疲れさまでした。プロでやっていく気はまったくないとのことですが、お互いギターは一生楽しんでいきましょう。主席ベーシスト殿、私は今日で合奏団を退きますが、たとえ一人になろうとも今後とも頑張ってガンガン低音を鳴らしていてください。二人とも合奏団の練習の後ウチに遊びに来るのなら歓迎しますよ。他の合奏団の皆さんにもよろしく。
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