2000年08月17日(木曜日)

五山の送り火

 今回の日記は昨日と今日の二日分をまとめて。昨日は宣言通り五山の送り火を見てきました。某場所に10階建てのマンションの屋上を火送り見物用に解放しているところがあって、そこが解放されると同時に入っていってずっとフェンス際に張り付いて見てました。私の後ろの方は何やら物凄い人込みのようでしたがフェンスに張り付いている私の視界にはフェンス以外視界を邪魔するものがありません。左右大の字から妙・法・船型とすべての火をバッチリ見物できました。

 しかしあの送り火というやつは実に静かで雅な味わいがあるものですな。暗闇の中、山の方でチカチカッと光が点滅してるなと思ってみていると、文字の輪郭が様々なところから不規則に重い緋色の線(それは単純に線というよりは本当に揺れてぼやける点の集合といった感じなのですが)で広がり浮かび上がってくるのです。線がすーっと伸びながら全体の輪郭が夜の闇の中に浮かび上がってくるのは感動でした。あの重く、お祭りというにはどこか侘びしげで寂しげな色で闇に揺れる炎の文字は、盆の暮れに霊界へ帰る魂を送るためのものだ、目に見えぬものを目に見えぬ場所へとさらに導いていく光なのだと素直に納得できるものがありました。船型が浮かび上がってきた時やっとしゃべれるようになったくらいの子供をだっこしたお婆さんが子供にこう言っていました。

「あの船はね、死んだ人が皆乗っていく船なんだよ。バイバ〜イ、って。」

 その響きには子供をあやすようでありながら、どこか悲しいような気配もあり、もしかしたらこれまでの人生で死に別れてきた人達の魂も、皆あの船に乗っていて、その人達を見送るような気持ちであの送り火の船型を見ていたのだろうかとも思いました。五山の送り火の色はお祭りと言うにはあまりに重く、苦しく、寂しげで悲しげですらありながら、それでもやはり幻想的で雄大で、見るものの心に訴えかける何かがあるものでした。悲しいだけじゃない、お祭り騒ぎだけでもない。そこにあるのは歴史の深みであり、祖先に対する追悼であり哀悼であるのかもしれません。私達の中に遠い祖先の記憶はなくとも、血に受け継がれた深い記憶がその火の創り出す一瞬の永劫に同調するのかも知れません。見ていて美しさに感銘しながら、悲しいような懐かしいような、言い尽くせない不思議な感傷に襲われました。やはり京都にいるうちに送り火は見ておくべきだと今素直に思っています。

 そして今日は実家新潟に帰ってきました。ご覧の通りホームページの更新はできます。ちと更新の時間は不規則になるかもわかりませんが。帰るなり親と酒を飲んで、真空管アンプにでっかい上質のスピーカーというウチの親の道楽設備で音楽聴いてました。そして家に日本酒『升鏡』がありました。新潟の地酒で、『越の寒梅』や『雪中梅』ほど有名ではありませんが、私のもっとも愛する日本酒です。今日はまだ飲んでませんが(これからちょっとくすねて飲むかどうかは未定)、いずれおいしくいただいてこようと思っています。

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