2000年05月22日(月曜日)

やりたいこととは - 就職活動とからめて

 私達ももう四回生となり、それぞれが進路を決めなければならない時期になりました。早いものです。ちょっと前に大学に入ったばっかりのような気もしているのが何だか不思議な感じです。大学に入ってから今までの三年間をあっという間に駆け抜けてきたような気がするのは、それがきっと素晴らしい時間だったからなのでしょう。しかしその時間にもとりあえずさよならを告げ、新しい自分の居場所を求めて進路を決める。ある意味辛い選択です。ずっとこの場にいたいと思う。しかしそれも叶わないこと。願わくば今まで以上に素晴らしい時間を新しい場所で、誰もがそう思うはずです。だから進路の決定には誰もが悩む。私も悩みます。例外ではありません。

 「自分のやりたいことがわからない」。就職活動を皆が始める時期に差しかかってから、そのような台詞をよく耳にするようになりました。気持ちはわかります。コンピュータがやりたい、音楽に関わりたい、曖昧なビジョンは何となく持っているものの、それが本当に自分のやりたいことなのか、迷いを持っている人をたくさん見てきました。「自分のやりたいこと」、そのビジョンがまだ定まっていないから進路決定も曖昧なまま、とにかく世間の就職シ−ズンという波に流されて動いている、そんな人をたくさん見てきました。「自分のやりたいこと」というものは意外に自分では見えにくいもの。それは自分が楽しい、充実していると感じられる瞬間が、一つの事ではなく色々な面にわたっていたり、あまりに日常的すぎて小さなつまらないことに思えてしまうものだったりするからでしょう。それを「自分のやりたいこと」というキーワードで探し出そうとするからはっきりしたものが見えなくなる。多分そんなところなのだろうと思います。発想を変えてみたらどうでしょう?自分がやりたい「こと」を探すのではなく、どんな「こと」、あるいはどんな「とき」に自分は楽しいと思い、充実していると感じられたのか。その場面を想定すれば、それこそこれまでの人生の中の種々雑多な場面が思い起こされると思います。しかし、その一見雑多に秩序のないように見える楽しい時間には、何かの共通項があるはずなのです。例えばそこに音楽があったとか、気の合った仲間がいたとか。その共通項が見つかったなら、その共通項こそがあなたが楽しい充実した時間を過ごせるための条件なのです。後はその条件を満たせる進路を決めたらいい。やりたい「こと」から探すから迷うのだと思います。順序は逆なのでしょう。自分が楽しい、充実していると思えるための条件があったからこそ、それが楽しい「こと」であり、やりたい「こと」になりえたはずなのですから。

 ここにきて、私はまた、私はまだ迷っています。自分が本当に素晴らしい時間を過ごせる条件は何なのか、それはわかっています。しかし、目先に私を迷わせる色々な条件がぶら下がっています。その表面的なものに自分が迷わされないために、私は自分自信に対する確認のために今日のこの日記を書いています。私にとって進路決定で一番重要なことは、自分がそこで充実した時間を過ごせること。そのための条件はわかっています。ならばそれが最優先事項。それをもう一回確認したかったのです。自分の迷いをとるために。魅惑的な幻影に、自分の道をミスリードされてしまわないように。

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